コロナ禍以来、デジタル経営の実践や事業のデジタルシフトに挑戦する企業が増えています。しかし、新たな取り組みが必ずしも順調に進むとは限らず、何らかの“壁”にぶつかっている状態だ、との声も聞こえてきます。

本稿では、日本の航空産業の雄であるANAホールディングス株式会社のもと、新たに誕生したANA NEO株式会社 代表取締役CEOの冨田光欧氏をお招きし、祖業とは全く異なるデジタル領域に舵を切った同社の設立経緯や葛藤、メタバース旅行という新たな旅を通じて達成しようとしていることなどを訊きながら、ポストコロナ以降の航空需要や新規ビジネスとの融合等について、KPMG Ignition Tokyo 茶谷公之と空想・妄想を広げた対談内容をお届けします。

ANA NEOは何を創り、何を目指しているのか?

冨田氏、茶谷

(ANA NEO株式会社 代表取締役社長 CEO 冨田光欧氏(左)、株式会社KPMG Ignition Tokyo 代表取締役社長兼CEO、KPMGジャパンCDO 茶谷公之(右))※記事中の所属・役職などは、記事公開当時のものです。

茶谷:             冨田さんがKPMG Ignition Tokyoのオフィスに初めて来られたのは、確か2019年あたりだったと記憶しています。ANA NEOが設立される前のことで、その時、「ゲームに関わるビジネスをやりたいと考えている」とおっしゃっていたのが印象的でした。ただ、その当時はアイディアがまだ固まっていない段階だったように思います。

そこから色々と検討を重ね、2020年8月にANA NEO株式会社が誕生したというわけですね。では、その経緯やANA NEOがやろうとしていることについて聞かせてください。

冨田:             ANA NEOは、ANAと、『ファイナル・ファンタジーXV』をリードしていた田畑端氏が独立して設立した企業「JP GAMES」との合弁会社として誕生しました。

立ち上げ当初はまだ「メタバース」という言葉もなかったので、「バーチャル空間での新体験を皆さんにお届けする。その中で、距離や時間的制約が取り払われるバーチャルの優位性を生かし、文化や地域を繋ぐ」ということを考え、最終的には、リアルとバーチャルを融合させ、メタバース上で皆様にとって新しいライフスタイルを過ごせる空間(プラットフォーム)を創っていきたい、というビジョンとミッションを掲げています。

実際のサービスとしては、今年中に「スカイホエール(仮称)」という、世界初、日本発の「旅をテーマとするメタバース空間」を提供すべく、日々邁進しているところです。

「スカイホエール」の中には、コミュニティもあれば、バーチャルとリアルの融合を楽しむ要素もあります。メタバースの旅なので、新しい、ここでしか体験できないことや、リアルでもできるけれどここでならもっと違う楽しみ方ができる、という体験も提供できればと考えています。

「スカイホエール」には3つのサービス軸があり、リリース当初のメインとなるのが「スカイパーク」です。全世界をバーチャルで模して、旅と冒険というゲーム要素も取り入れたテーマパークをイメージしています。さらには、越境ECも含めたeコマースやNFTの概念も取り入れたバーチャルショッピングが楽しめる「スカイモール」も展開する予定です。

「スカイパーク」では、「Vトリップ」「プレミアムVトリップ」「RPGツアー」という3つのタイプの旅を楽しめるようになっていて、いずれも複数人で楽しんでいただけます。「Vトリップ」は、360度カメラなどで撮影した画像を処理した空間に広がる全世界の有名スポットを“ちょい旅”する感覚のコンテンツです。

「プレミアムVトリップ」では、ほとんどの観光エリアを3DCGと360度カメラで撮影した画像で作った空間で2時間くらい楽しんでいただけるような豊富なコンテンツを備え、新しい旅の楽しみ方を提供する予定です。特にここでは、バーチャルだからこそできる、「今だけでなく、過去や未来にも旅できる」という体験を提供したいと考え、その一環として京都の自治体と提携し、例えば歴史上の事件を見学したり、現実にはない未来の京都を見ることもできるようにしたいと考えております。

「RPGツアー」には、それよりもゲーム要素を盛り込み、例えばアバターに着せる服を買うと、その服にまつわるストーリーが体験できるようなコンテンツを用意します。「マリーアントワネットの衣装を買うと、彼女のライフスタイルが体験できる」というイメージですね。

また、「スカイパーク」には、各フィールドにNPC(Non Player Character)が存在し、彼らに話しかけると、その地域のトレンドやカルチャーを教えてもらえる、というような仕掛けのアイデアもあがっております。

アバターを通して、こうしたコンテンツを体験したりアイテムを購買したりした情報を活用して、ユーザーそれぞれの好みに応じたツアープランを提案し、予約できるようなサービスも提供することでリアルとバーチャルの融合も実現できると思っています。

さらに、「スカイパーク」と「スカイモール」の後にリリースする3つ目の軸、「スカイビレッジ」では、エンターテイメントを少し飛び越えた、ヘルスケアや教育、行政サービスなどの要素を含めて、新しい日常を送っていただけるような機会を創出していきます。

こうしたメタバースを通じたサービスで、ANA NEOとしては、「デジタル時代の地域創成事業」と「ライフスタイル事業」を成長させていきたいと考えているところです。

スカイホエール(仮称)

スカイホエール(仮称)

画像提供:ANA NEO株式会社

スカイパーク(開発中のイメージ)

スカイパーク(開発中のイメージ)

出典:ANA NEO株式会社HP

スカイパーク(開発中のイメージ)

スカイパーク(開発中のイメージ)

出典:ANA NEO株式会社HP

特に「デジタル時代の地域創成事業」については、近年、全国で過疎化対策や地域活性化対策として地域産品による村おこしや観光振興などが進んでいますが、我々の“旅を軸にしたメタバース”で国内外の多くの観光地の良さを世界に伝えていくことで、リアルでの訪問に繋げるだけでなく、“文化の維持や継承”を実現できるのではないかと想像しています。また、リアルではなかなか観ることができない文化財などを楽しめるようにもなります。さらに、NFTを導入することで、地域の文化的価値への理解が深まり、リアル社会でも継承されることに貢献できるはずです。

その第一弾として、先ほど少し出てきましたが、京都の自治体との連携協定を結び、具体的な検討を進めていくことになりました。今後もそうした自治体との連携はどんどん進めていく予定です。

茶谷:             なるほど。実は私自身もバーチャルトリップの経験があります。ちょうどコロナ禍で旅行に行く機会がなくなった時、国内外をバーチャルトリップするコロナ禍ならではといったサービスが増えましたよね。私が体験したのは山形県や島根県、チリやドイツなどを巡るもので、その“旅”を企画した会社が、例えば島根なら島根の酒蔵や干物屋から名物を事前に送ってくれて、それを楽しみながら実際に作っておられる方の解説をガイドしてもらう、というような内容でした。

皆さんプロのコンダクターではないようだったのですが、地元の方が地元の様子を見せてくれるというのが、単なる観光にはない、地元を知る人だからこそ伝えられる楽しさや意外性をもたらしてくれて、「これは楽しいな」と思ったものです。

そうしたバーチャルトリップから一歩踏み込んだものが、今回のANA NEOで取り組まれることなのだと思うと、「面白いな」と率直に感じますし、実際にどのようなメタバース空間が生まれるのか、とても楽しみです。

ANAが「メタバースを創る」きっかけ

茶谷:             「ANAがメタバースをビジネスとして展開する」という話を聞くと、「コロナ禍で航空需要が払底して、本業を支えるための起死回生としての新事業ではないか」と思うものでしょう。しかし、実際は2019年半ばにはプロジェクトは始動していたわけですが、どういういきさつで新会社を立ち上げるまでに至ったのか、非常に興味があります。

冨田:             まさにその通りで、周囲の方々からは、「コロナ禍で人流・物流が途絶えたことで窮状にある航空事業を支えるためにこの事業に取り組んでいる」と思われているようです。しかし、このプロジェクトをスタートさせたのは2019年秋のことで、話しているうちに突然コロナ禍が深刻な状態になり、YouTuberによる旅コンテンツが多数世に出るようになり、「メタバース」という言葉を誰もが知るようになり…。この数ヵ月の激動は我々も全く予期していなかったのですが、結果的には世の中の今の動きと非常にマッチした取り組みになったな、と思っています。

茶谷

コロナ禍は確かに航空産業にも大きなインパクトを与えていますが、過去にも9.11やSARS、リーマンショック、東日本大震災といった予期せぬ出来事があり、そのたびに航空業界は大規模な需要減退によって経営が左右されるという経験もしてきました。私自身もANAで20年以上マーケティングに関わり、「自分達の力ではどうしようもない事態」を幾度も経験してきたものです。もちろん、ANAグループには多くの関連事業がありますが、いずれも航空との関連性が非常に強く、航空事業の浮沈にそのまま引き摺られてきたというのがこれまでの流れです。

そうした環境下で、祖業とシナジーがありながらも大規模イベントに耐性のある事業はないものかとずっと模索していた中で、縁があってJP GAMESの田畑氏との出会いがありました。

私自身はゲームをするわけではなかったのですが、田畑氏と話しているうちに、ゲーム産業と航空産業の共通点として、「エアラインマーケティングは顧客行動分析に基づく路線計画や運賃設計を行なうが、RPGゲームの世界もユーザーの行動予測に基づいて組み上がっている」ということに気付くようになりました。さらに、「顧客行動も以前はマスでの分析予測だったが、最近ではビッグデータを用いた顧客一人ひとりに基づくOne to Oneマーケティングを志向している」ということも、共通点として浮かび上がってきました。

祖業とのシナジーという点については、JP GAMESの持つCGレベルの高さを確認して、バーチャル世界をクオリティ高く実現できれば、リアル旅行との親和性は間違いなく高まると確信し、これが「スカイホエール」誕生の出発点になったと言えます。

茶谷:             確かに、仮想空間はいろいろと便利だと思います。このオフィスも3次元データにして空間を構成し、例えば、日米の学生を招いてイベントを開催するとなった時、リアルにはこのオフィスに来られない学生に向けて、VRデータ上でオフィスツアーを行なっています。そうすれば、「来られない」という問題だけでなく、「ここは業務スペースで今は入れない」という制約もなくなるので、より詳しい説明ができるという利点があります。

冨田:             なるほど。では、「スカイビレッジ」にKPMG Ignition Tokyoのオフィスを展開することもできますね。そういう世界が広がっていくのだろうな、と想像が膨らみます。

デジタル領域に異業種参入できた理由

冨田氏

茶谷:             「スカイホエール」のプロジェクトは非常に興味深いし、私も社内のミーティングでの発表を自分のアバターに任せているくらいなので、そういった話が一般化していく道筋が見えるのですが、大企業にとってこれをすんなりと事業化させられるかというと、疑問に思う部分もあります。デジタルに足を踏み入れるにあたり、社内ではどのような議論や葛藤があったのでしょうか?

冨田:             確かに、すんなり本事案が通る状況ではありませんでした。最近でこそ、ここまで話した会話の内容が普通になされるようになりましたし、何かあれば「メタバースの世界でやればいいのではないか」という発想もそう突飛なものではなくなっています。リモートワークを進化させてメタバース空間で行なう、という話も現実味を帯びていますね。

しかし、最初に「スカイホエール」のプロジェクトの原型を話した時、そういったことは世の中で話題にもなっておらず、特にANAは元来リアルの世界でビジネスをしてきたので、「今度、こういうゲーム的な世界を創ろうと思う」という話をしても全く通じず…。(笑)「社内をどう説得するか?」というのは、最初は凄く高い壁になっていました。

おそらく、多くの若い人達にとって、「スカイホエール」のようなメタバース空間をどう活用するかという話は面白いと感じてもらえるでしょうし、凄く盛り上がると思います。また、感覚的に「いずれこういう世界になるのだろう」という発想から、「こういうのが面白いのではないか」という話も出てくるのだと考えます。

しかし、結局のところ、決定権を持っているのは若い人ではなく経営層と言われる人達であり、両者には物事の見方などに違いがあるものです。話をしても、「ええ〜」という反応が返ってきたり、「エンタメを事業として我々がやるのか?」といった意見も少なくありませんでした。

そうした中で、現ANAホールディングスの会長であり、当時は同社長だった片野坂真哉に話を持って行ったところ、「このバーチャル世界ができた暁には、自分のアバターがそこに住むことを考えるだけでワクワクする!いろいろ買い揃えてみたい!」と非常に前のめりになってくれたのです! 

また、彼は、「我々エアラインの一番の財産は航空事業ではない。最も大切なのは顧客であり、我々がやっているのは顧客事業なのだ」と言い切り、「いかに顧客の皆様に満足していただけるものを提供するかが我々の役割なのだから、我々のビジネスは航空事業に限ったものではない。ANAファンの皆様に航空事業に留まらない夢を提供していきたい」と語ってもくれました。それを聞いて、こちらも、「ああ、思いは同じだな」と思ったものです。

そうして、片野坂が社長時代にトップダウンで話が行き渡るようになり、会社として動き出すことができました。

DXしかり、デジタル経営しかり、やはり日本の企業はなかなかボトムアップだけでは物事が進みづらいのだと思います。若い発想や感覚を理解して、「将来こうなっていくのだろうな」と共感し、同じ情熱を持ってくれる経営層からのトップダウンが並行して動かないと、いわゆる日本の会社が新しい取り組みをするのは難しいのかもしれません。

もちろん、その後のプロジェクトの後押しや期待度を高める要因には、コロナ禍の長期化により本業である航空事業の回復にはまだ時間がかかりそうだという現実も大きく影響しているとは思います。しかし、ANAの場合は片野坂が非常に前のめりになってくれたのが、物凄くラッキーだったと思います。

メタバース空間の課題とANAだからこその“壁”

茶谷:             少しお話しにもありましたが、「メタバース」が一般化してきたことで、これを題材にした話題の映画作品もいくつか出ていますね。そうした中でよく取り上げられるテーマのひとつに、リアル世界と仮想世界の間でのトラブルや、人間の気持ちの“のめり込み感”の難しさがあると思います。その辺りの設計はどのように考えておられますか?

冨田:             我々が創ろうとしているメタバースは、最初は「旅」を軸にすることで分かりやすさや安心感を醸し出せると思っています。旅が好きな人が集って個人やグループで楽しむという展開を想定しているので、旅に行って帰って来る、くらいの間であればそれほど問題も起きないかと思います。

しかし、新しいライフスタイルを体験するといった、旅をもう少し拡張した段階になれば、将来的に必ず何かしらの課題は出てくるだろうと想像できます。それこそ、メタバース空間に住んだり、医療や教育や行政に関わるサービスを展開したりすれば、そこには必ず現在の人間社会で起こっていることと同じ問題が発生する確率が高まるでしょう。

冨田氏、茶谷

その課題認識のもと、異業種のノウハウや実際の業務提携を含めて、いろいろと並行して進めようとしているところです。まだ具体的には言えませんが、重要なことだと捉えています。

茶谷:             活用のあり方によるのでしょうね。例えば、私が作ったアバターを見た大学教授が、「これをぜひ講義に使いたい!絶対に事務局には止められるだろう。けれどそこをぜひとも突破したい」とおっしゃっていました。

1コマ90分の講義のうち、一方向に話す部分をAIに任せて質疑応答だけは教授本人が行なう、というふうにすれば、教授は結構な時間を自由に活用できるはずなので、パラレルで授業を展開するといった可能性も出てくるかもしれません。

まさしくこういうメタバースなり仮想空間に行くと、自分の生活時間とパラレルワールドでもうひとつの自分の世界が創れるので、物凄く効率的だったり、実りのある生き方だったりが実現できると想像します。そういったパラレルワールド感がうまく活用できたら面白いのではないかと思いますね。

冨田:             そういう意味で今すでに我々の中でひとつ課題認識としてあるのが、個人情報の問題です。メタバースがアバターを通したコミュニケーションの場であると言うのなら、本当はできる限りたくさんの人が集まり、見知らぬ人も含めてコミュニケートできたらいいとは思います。そして、それは技術的にももちろん可能です。

しかし、我々としてはそこには少し制限をかけようと思っています。見知ったグループのメンバー以外の人物が入れば、そこをマッチングの場にすることもできるのでしょうが、おそらくそこには様々な課題が一気に噴き出すと考えられます。そうしたことは慎重に進めていかなければならないでしょう。パラレルワールドであるならば意図的な制約はない方が本来は望ましいとは思いますので、そういう課題を解決してこそ本来的なパラレルワールドを実現させる努力が必要だと感じています。

茶谷:          確かに、私にも経験がありますが、コミュニティとの距離の取り方や運営というのは凄く難しい部分があります。面白くはありますが、下手をすれば炎上リスクも抱え込みかねません。しかし、逆に人が離れてしまうようなことになるとコミュニティが成立しないので、場を提供している意味がなくなります。そこをどのような立ち位置で立ち回るか、大企業のANAとしては難問のひとつになりそうです。

冨田:             ANAという名前を見て入ってこられる方は、きっとそこに「ある程度の安心感」を見出してくださっているのだと思います。それがひとつのフェンスになることもあるかもしれませんが、大手企業が実践するDXというのは、マーケット側からはやはり安心感や信頼感に期待を持って見られるはずなので、それを毀損するわけにはいかないと考えています。

そうした意味では、空間創りにあたってのスタンスも同様です。田畑氏とも話しているのですが、消費型コンテンツをどんどん出してそれを消耗していくようなビジネスモデルではなく、サステナブルなモデルを目指すには、BtoBの取り組みや、UGC(User Generated Contents=ユーザーが作成したコンテンツ)も取り入れていきたいと考えています。しかしながら、そこには「ユーザーが提供してくれたものを全て使えるのか?そうするにはどうすればいいのか?」という課題が出てきます。ANAグループが行なう事業として、ガイドラインとの整合性をどう考えるか、必ずついて回る問題になるのでしょう。

後編に続く

対談者プロフィール

冨田氏

冨田 光欧
ANA NEO株式会社 代表取締役社長 CEO

1987年にANA(全日本空輸株式会社)へ入社以来、ANAのマーケティング部門でエアラインネットワーク戦略やアライアンス戦略をリードしている。 また米国やシンガポールに駐在し海外マーケティングにも触れる中で、ANAがエアライン事業で培ってきた旅や移動を軸とした顧客ビジネスをリアルの世界だけに留めず次のステージへと拡げていく必要性を強く感じ、2020年8月にANA NEO株式会社を立ち上げ、5G時代の新たなエアラインビジネスに挑戦している。