コロナ禍以来、デジタル経営の実践や事業のデジタルシフトに挑戦する企業が増えています。しかし、新たな取り組みが必ずしも順調に進むとは限らず、何らかの“壁”にぶつかっている状態だ、との声も聞こえてきます。

本稿では、日本の航空産業の雄であるANAホールディングス株式会社のもと、新たに誕生したANA NEO株式会社 代表取締役CEOの冨田光欧氏をお招きし、祖業とは全く異なるデジタル領域に舵を切った同社の設立経緯や葛藤、メタバース旅行という新たな旅を通じて達成しようとしていることなどを訊きながら、ポストコロナ以降の航空需要や新規ビジネスとの融合等について、KPMG Ignition Tokyo 茶谷公之と空想・妄想を広げた対談内容をお届けします。

新たな技術がライフスタイルに組み込まれるには

冨田氏、茶谷

(ANA NEO株式会社 代表取締役社長 CEO 冨田光欧氏(左)、株式会社KPMG Ignition Tokyo 代表取締役社長兼CEO、KPMGジャパンCDO 茶谷公之(右))※記事中の所属・役職などは、記事公開当時のものです。

茶谷:             YouTubeはまさにUGCのモデルであり、コンテンツが格段に増えたのはスマホの普及とそれによって簡単に動画が撮れて編集できるようになったのがきっかけだと言えます。そう考えた時、ANA NEOの制作ツールはどういうものなのでしょうか?

冨田:             基本的にはいわゆる3DのコンピュータグラフィックCGのものを提供することになります。彼ら(田畑氏のJP GAMES)は非常に高い技術を持っているので、それをベースに作ることになります。ひとつ、新しいやり方として紹介できるのが、誰かに映像を撮って送ってもらい、AIが画像処理をしたうえでアバターを組み込むというシステムです。解決すべき課題はありますが、それを使えばユーザーが撮影した360度の映像を簡単に空間に反映することも可能です。

こうした現場にいると、技術のハードルが下がって実現可能になっていることが多いな、と感じますね。

今回のANA NEOのプロジェクトにしても、我々のような航空会社がメタバースの世界に入っていけるようになっているというのは、様々な新しい技術が生まれて進化している、技術の平準化が起こっているという証左だと言えるでしょう。

スマホひとつをとっても、世界中の30億〜40億の人が持っている世界になったことではじめて今回のような話が成り立つのです。そうした進化がメタバースの世界やパラレルワールド体験を現実味のある話にしている、というのは、やはり技術の進化が全てを支えていると感じる瞬間です。

茶谷:             そうした意味では、このメタバース内での旅の没入感を演出する上で、スマホというデバイスをあえて選んでいるところは気になるところです。VR機器を使うことも、今ではできないわけではありませんよね?

冨田:             ご指摘はその通りで、没入感を演出するにはVR機器の活用も選択肢に挙がってくるとは思います。ただ、我々としてはスマホで極限まで没入感を高めるためにグラフィックの精度を上げることをまずは第一に考えています。

この決定には、「まずは人が集まる空間を作りたい」「お年寄りから子どもまで、世界中の人にこの新しい旅の体験、そこに広がる楽しみを提供したい」という強い気持ちがあり、没入感は若干犠牲にしてでもスマホで参加できることを優先したい、という考えが背景にあります。メタバースという今は非日常なものを広く一般に受け入れてもらうには、ユーザーにとって参加が簡単であればあるほどいいでしょうし、その文脈で見るとVR機器はまだマーケットとしてはスマホよりもずっと小さいと感じています。

しかし、先ほどの話にもありましたが、技術は必ず進むので、今のようにVR機器が何万円する、という時代から「メガネ状の装置で簡単・廉価にVR体験ができる」というような時代もおそらく近い将来には訪れるでしょう。そこは技術の進化に期待しています。

旅を基軸にしたメタバースの楽しさとビジネスの可能性

茶谷:             「スカイホエール」の概要を聞いて思い出したのが、雑誌『地球の歩き方(株式会社地球の歩き方)』と『ムー(株式会社ワン・パブリッシング)』がコラボレーションした合同誌『地球の歩き方ムー−異世界(パラレルワールド)の歩き方』です。

海外旅行のガイドブックである『地球の歩き方』と、オーパーツや世界の不思議、異世界の話などをテーマにしている『ムー』がタッグを組んでいるのですから、非常に面白い内容になっている、と想像していただけるでしょう。私は、「これを仮想空間で見られたら楽しいだろうな」と思っているのですが、冨田さんとしては「スカイホエール」をどう楽しんでほしいと考えておられますか?また、これをビジネスとして展開するにあたってのポイントは何でしょうか?

冨田:             コロナ禍で確かに出張ニーズはなくなっていますが、旅行をしたいという気持ちや新しいものを見てみたいという気持ちは全く衰えていない、という声が聞こえてきます。一方で、最近耳にしたのが、「コロナ禍が落ち着いても、どこかに行くのがちょっと面倒だ」という気持ちもあるとのことです。「旅行には行きたいけれど、パッキングをして、成田や羽田まで行って、手続きをして飛行機に乗って…」というのが煩わしい、と。そういう気持ちが定着しつつあるのが今だ、というわけですね。

茶谷

そういう意味では、我々がこれから世に出すサービスは、なるべくリアルに近いような凄く高いクオリティのものをお見せすることで、「やっぱりそこへ行こう!」という気持ちを喚起させられるのではないか、と考えています。

実は、社内の議論の中で、「旅のデジタル化、メタバース旅行ができるようになったら、人はリアル旅行に行かなくなるんじゃないか?」という話も多々出てきたのですが、メタバース空間の精度が高く、洗練されたクオリティのものを出せたなら、それは逆に「実際にそこに行きたい」という気持ちを掻き立てることになるはずだ、という確信を持っています。

メタバースで一番大事なことは、人がどれだけそこに滞留するかということだと考えています。そうした意味では、現時点で世の中に存在するたくさんの小さなメタバース空間は、見ている限りなかなか「長く滞留する」という状態にまでは至っていないと感じます。おそらく、デジタル領域に興味のある人達が、新しいメタバースができたということで一度覗いてみて、「なるほどこんな世界か」と言って終わってしまう、という感じなのでしょう。この課題を超えるには、そこにいかにエンタメ要素を組み込むか、というのがキモだと考えています。

だからこそ、ANAはJP GAMESと組んでゲームの技術やノウハウを取り入れ、人を滞留させられるメタバース空間創出に挑戦するわけです。特にBtoBビジネスをするには、人が滞留しなければビジネスモデルとしての成長は望めないでしょう。最初はBtoCでサービスをスタートさせるにしても、BtoBにシフトしていきたいという考えと、いかにBtoCで人を集められるか、それが解決できなければ成長モデルになっていかないので、そこが一番重要なところだと言えます。

旅の本質的な楽しさや感動は技術だけでは満たせない 〜ANA NEOの勝算〜

冨田氏

茶谷:             このあたりで少し厳しい質問をしてみたいと思います。メタ・プラットフォームズ(Meta)やマイクロソフトのようなメガプラットフォーマーがメタバース創出に注力しているのはご存知の通りです。そこで、改めてお聞きしたいのが、「ANA NEOが創り出すメタバースが彼らに勝てるか?」ということです。

冨田:             メガプラットフォーマー達がこぞってメタバースに注力するようになっており、彼らのスピード感や投資額のことを考えると、我々がいくら「少し早くから着手した」というアドバンテージを持っていたとしても、あっという間に勢力図が変わってくる世界だとは思います。しかし、この領域は、単純な技術競争じゃない世界なのではないか?とも思っています。まさに人間とのインターフェースをどう世界観に組み入れていくのか、というのが重要だという考え方です。

幸い、ANAにはリアルの世界でANAマイレージクラブの多くの会員様がいらっしゃるので、そこと連動させていくことで、我々ならではの強みが出てくると考えています。つまり、メタバースとリアルの世界の両方を移動するような繋ぎ込みができれば、勝機はある、ということです。むしろ、そのような何らかの特徴のあるメタバースしか生き残っていけないのだろう、とも踏んでいます。

逆に茶谷さんに質問したいのが、今後のメタバース空間のあり方です。これまで、巨大プラットフォーマー達がデジタル領域を席巻し、小さな類似サービスなどは飲み込まれる、というのが一般的な流れだったわけですが、メタバースでも同じことが起こるでしょうか?

我々としては、分散型になるだろうと見ているし、そうなるよう願ってもいます。もうどこかが寡占する時代じゃないだろう、と。むしろ、様々なメタバースが生まれ、特徴を持っているかが生き残りの鍵になり、残ったものそれぞれがリンクする、というような流れになっていくのではないか、と考えています。

だからこそ、我々はANAグループとして「旅」を軸にするという特徴を持ち、これを打ち出していくことが生き残りの道になるだろうと見通しています。

おそらく、他の様々な企業も同じようにメタバース開発をするでしょうし、そこにはリアルの世界で培ってきた本業の強みを新しい世界の中でどうやって発揮するかが重要になってくるだろうという気がします。

ずっと長年培ってきた強みがなければ、大手企業が挑戦するデジタル経営やDXは、デジタルに特化した会社には勝てない、とも思うのです。その辺は我々も意識するようにしています。

茶谷:             その話を聞いていて思ったのが、ANA NEOが打ち出す新しい旅の楽しみ方として「距離方向の旅だけでなく、時間方向の旅もある」という面白みについてです。

先日、私の親が45年くらい前に一時期東京に住んでいた時に撮った写真が見つかったのですが、そこに映り込んでいる寿司屋について調べたところ、まだ営業していることが分かりました。今度実際に訪ねてみて、「45年前からここにありましたか?」なんて聞いてみたいと思っているところです。それはきっと、45年の月日をトリップする体験になるでしょうし、そういう「時を超える体験」というのは面白いですよね。

冨田:             そうですね! そうした時間を超越する旅行の面白みはもちろん体験いただきたいのですが、もうひとつは「旅する人の物理的距離を超える」というのもご提供したいものです。

前編で紹介した「プレミアムVトリップ」では、複数名の参加者が同時にメタバース旅行を体験できる仕掛けになっているのですが、これは「子どもの頃は家族旅行に行ったものだけれども、大人になってそれぞれ家庭があるとなかなかそうした機会を持てない」という状況への新しいご提案にもなると考えています。

例えば、おじいちゃんやおばあちゃんとお孫さんが一緒に旅をするというと、いろいろとハードルがあるかもしれないけれど、メタバースでなら可能になる、と。あるいは、病気や体力などの問題で移動が難しい人でも、思い出の場所やそこでの記憶を子どもやお孫さんと一緒に辿る、というような体験もできるでしょう。そのような新しい旅の形が、「フィジカルな旅ではないけれども、精神的にはリアルな旅と同じくらいすごく満たされる」というひと時になるでしょうし、そんなことがこのメタバース内でできればいいなぁ、というように想っています。

そういった情緒的なことは、技術だけを突き詰めても満たし得ないことでしょう。それとは違う、ちょっと人間的な“何か”が大事で、人間の変わらないメンタリティみたいなものをいかにうまく組み合わせていくかというのは重要な要素だと考えます。半導体やコンピューターだけで作れる世界ではない、そこに人間が入ってこそ価値がある世界、というわけです。

こうしたことは、今あるYouTubeやTVの旅番組で体験するバーチャルトリップを研究している中で思ったことです。世の中にはたくさんの旅に関するコンテンツがありますが、やはりどうしても、「実際に自分が旅行に行った時に得られる高揚感が満たされない」と思う理由を考えた時、それは「全てが受身になっているからだ」という答えが見えてきました。

本来、旅の面白さというのは、能動的に「あそこに行きたい、あそこに行こう。そこで何かやってみよう」というように自分中心なものなので、受身なコンテンツでは旅先の良さは伝わっても、どこか物足りなさを感じてしまうのだと思います。そういう意味では、メタバース空間でアバターを自ら動かして楽しむ新しい旅の体験というのは、大きく違うと言えます。きっと、今世の中にある旅のコンテンツよりも本当の旅に近い感覚が味わえるはずです。

50年後、100年後、移動や旅はどう変わるか?

茶谷:             では、最後の質問です。50年後や100年後、人の移動や旅はどのように変わっていて、航空産業はどういう変化を遂げていくと考えていますか?

冨田:             我々航空会社が担っている人の移動は大きく2つに分けられます。ひとつはいわゆるビジネスユースの移動で、もうひとつは皆様が楽しむための旅行での移動です。

ビジネスユースの方は、コロナ禍で明らかに変化したと言えます。おそらく多くの方が、今までは「対面してこそビジネスが進む」と感じていたと思いますが、今や「そうではない」とおっしゃることでしょう。コロナ禍が短期間で収束していたならまた違ったかもしれませんが、すでにオンラインでの会議が定着し、必ずしも同じ空間で会って会話することが当たり前とは言えなくなってきているのが現状です。今後、少しは対面でビジネスするスタイルが戻ってきたとしても、昔と同じマインドセットにはならないだろう、と見通しています。

冨田氏、茶谷

旅行の方は、これはビジネスユースとは逆に、コロナ禍以前と変わってない、と感じています。ただ、先に触れたように、「何だか面倒くさいな」という気持ちだけは少しあるかもしれません。とはいえ、基本的にはやはり「新しいものを見たい!」という気持ちは変わらないので、そういう意味では、50年後も100年後も、リアルの旅行は全く廃れないと思いますし、メタバースの旅行を楽しむ機運も高まることでしょう。

そして、メタバース旅行の楽しみが一般化すればするほど、リアルの移動や旅行に対する渇望が高まると考えます。その中には、地球上だけでなく深海や宇宙も含まれるかもしれません。メタバースや今見えている世界の中にクローズするとは全く思っていない、というのが私の考えです。旅に対する気持ちというのはきっと人間のかなり本質的なところに近いのだという気がしています。

茶谷:             なぜ人は旅をするのか?というとても深淵なテーマに繋がっている、というわけですね。 

冨田:             人類は絶対に旅をし続けるだろうと思います。その醍醐味は、自ら選んだ旅行先で街歩きやアクティビティなどを能動的に体験し、そこに感動を見出すことにあるのでしょう。そうした本質に寄り添い、我々は「世界中を巡る旅のエンターテイメント」であると同時に、リアルの旅と繋がる「旅の入り口体験」を提供することを目指し、最終的にはポストコロナ時代の新たな移動の概念を創り出したいと考えています。

対談者プロフィール

冨田氏

冨田 光欧
ANA NEO株式会社 代表取締役社長 CEO

1987年にANA(全日本空輸株式会社)へ入社以来、ANAのマーケティング部門でエアラインネットワーク戦略やアライアンス戦略をリードしている。 また米国やシンガポールに駐在し海外マーケティングにも触れる中でANAがエアライン事業で培ってきた旅や移動を軸とした顧客ビジネスをリアルの世界だけに留めず次のステージへと拡げていく必要性を強く感じ、2020年8月にANA NEO株式会社を立ち上げ5G時代の新たなエアラインビジネスに挑戦している。

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