森林貴彦(慶應義塾高校野球部)× 宮原正弘(KPMGコンサルティング株式会社 代表取締役社長 兼 CEO)<後編>

夏の甲子園優勝を飾った慶應義塾高校野球部の森林貴彦監督の指導方針は、目先の勝利だけではなく選手の「人間力」を育むこと。一人ひとりが自分の頭で考え、主体的にプレーすることのできるチームづくりは、生産性が高くイノベーションが生まれやすい組織づくりにも有効です。

チームビルディングの手法やコミュニケーションについて議論した前編に続き、後編では変革の時代に必要なリーダー像についても掘り下げます。

トップ自身が変化にアンテナを張り、成長を続ける

宮原:これまで伺ってきた森林さんの指導方針や考え方には共感するところが多いのですが、「慶應は優秀な学生が集まっている学校だからできるのだろう」と言われることはありませんか?そういう時にどのように返答されていますか?

森林氏:よく言われますね。でも、「うちではできない」と諦めてしまうのはもったいない。それこそ思考停止です。先ほども申し上げたように、すべての高校野球部にうちのチームのやり方を真似してほしいということではありませんが、「自分は今までもこのやり方でやってきたから、これからもこれでいい」というスタンスではいけないと思います。もし、指導者がこのようなマインドになってしまったら、すぐに退場すべきです。それくらい、あってはいけないことです。

 

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慶應義塾高校野球部 森林監督

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慶應義塾高校野球部 森林監督

宮原:指導者自身が常に世の中の変化にアンテナを張り、新しい価値観を取り入れることを恐れてはいけないということですね。

森林氏:「人間力を育む」と言いましたが、それは指導者自身も同様です。何より私自身が成長し続けなければならないと思っています。ですから、自分の考えが凝り固まらないように、機会があれば違う業界の方に会いにいったり、会話をしたりと、アンテナを張るようにしています。今回の対談も、そんな機会の1つです。監督という存在はまったく絶対的なものではありません。部員たちには、私を踏み台にして超えていってほしいと思っています。私はこの先ずっと彼らが成長していく様子を楽しむことができる。高校野球の監督とは最高の仕事だな、と感じています。

多様な経験・価値観に触れ、「人間力」を磨く

宮原:「野球だけやって90歳になるわけじゃない」という言葉もそうですが、指導者こそ成長と挑戦を怠ってはいけないという森林さんの哲学には非常に共感します。一方で目先の将来だけではなく、長期的な視点で物事を考え判断するためには、さまざまな経験を通じ、多様な価値観に触れることが必要ですね。森林さんご自身は大学卒業後に一般企業で働かれていた経験をお持ちですが、この考え方にはそういったキャリアで培われた視点も活きているのでしょうか。

森林氏:たしかに、高校野球の指導者の中では、野球以外の経験が多いほうかもしれません。一般企業を退職した後は、自分で学費を払って大学院でコーチングを学び、母校以外の学校で実際にコーチもやりました。今も普段の仕事は小学校の教員です。選手も指導者も野球だけに打ち込んで完結することもできるのですが、こうして日頃から小学生と高校生に接したり、教育や野球以外の業界の方とお話する機会をいただいたりすることで、自分の価値観がたえず揺さぶられて固定化されずにすんでいるように思います。

世の中の変化のスピードはこれほど加速しているのに、野球界は依然として保守的なところがあり、私は今、本当に危機感を持っています。子どもの習いごととしての野球を見ると、厳しい上下関係や保護者に大きな負担がかかる仕組み、練習時間の長さなど、気になる点がいくつもあります。全員がプロ野球選手になれるわけではない中で、野球というスポーツを通じて「人間力」は育まれるのかと考えた時、正直、今の状況だと疑問符がついてしまうと思います。

宮原:コンサルティング業界をはじめとしたビジネス一般においても、これからは綺麗な資料を作ったり、長文を簡潔にまとめたりするなど一部の仕事はAIが代替する可能性があります。しかし、人を動かすことはAIにはできません。

これからの時代は、これまで以上に人を巻き込んでプロジェクトを推進していくための「人間力」の部分が問われると思います。

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KPMGコンサルティング 宮原

「正解」がない時代、向き合うべきは自分自身の本音

宮原:慶應義塾高校野球部の夏の甲子園優勝は、日頃から野球に親しんでいない人にとっても痛快だったのではないでしょうか。その理由の1つが、多くの企業で日本社会全体の問題かもしれませんが─古い価値観を刷新しきれない閉塞感が漂い続けているからではないかと思います。

森林氏:組織としての問題もあるかもしれませんが、もう少し主語を小さくすると、私たちはもっと自分の幸せとは何なのかということを突き詰めて考えていくことが必要だと思います。今は昔のように、良い大学を出て、良い会社に入って、結婚して、家を買って…、というような「正解」があるわけではありません。みんながそれぞれに幸せの“ものさし”を持っている時代です。だからこそ、社会からの評価ではなく、自分自身にベクトルを向けて、自分の心に正直にならないといけない。小学生や高校生と接していると、「自分は本当はこう思っているけれど、こう答えた方が良い評価をもらえるだろう」とか「先生はこういう答えが欲しいのだろう」と“空気を読む”子が少なくありません。いわゆる「賢い子」ほど、その傾向があります。

求められることを答えるというのは生きていくうえで大事な技術の1つですが、そればかり繰り返していると自分の本音がわからなくなってしまいます。自分の本音を自分自身にも他人にももっとさらけ出すことができれば、こうした閉塞感というものを打破する1つのパワーになるのではないでしょうか。

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慶應義塾高校野球部 森林監督

宮原:一人ひとりが自分自身にベクトルを向けなければならないというメッセージを受け取りつつ、経営者としては、個人の意志をつぶさない組織づくりの必要性も再認識しました。おっしゃるように、世の中は本当に大きく変わってきているので、過去の成功体験や常識を押し付けることはあってはならないと思います。根本的には、インクルージョンとダイバーシティの概念が日本の企業や社会にもっと浸透し、実装されなくてはいけないですね。まさに「変革」が必要です。

森林氏:人の上に立つ経験がある人ほど保守的になりがちです。そういう組織は、新しい人材が能力を発揮しきれず、魅力的な組織やチームになっていかない。これは野球も企業も同じかもしれませんね。

スポーツには、人や企業を巻き込み社会を変革できる可能性がある

宮原:最後に、スポーツの可能性に関してもお話をうかがわせてください。私は、スポーツはたくさんの人や企業を巻き込み社会を変革できる可能性があると考えていますが、森林さんはいかがですか。

森林氏:私もスポーツが社会に何か豊かさを還元するようなことができないか考え続けています。実際に、スポーツの試合で人は感動や勇気をもらえるので、何かしら良い影響を与えることは確実だと思うのですが、その価値や効果について言語化や数値化するのは簡単ではありませんね。

日本だとスポーツはイベントの時だけ盛り上がり、そこで活躍した選手が芸能人のように扱われますが、本当の意味でリスペクトされる存在になれていないようにも感じます。

スポーツに触れる機会が日常的に少ないという問題もあると思うので、街中で気軽にスポーツにアクセスできる環境づくりなども必要かもしれません。

宮原:以前、当社でもアーバンスポーツのイベントを行ったのですが、地域の住民の方がかなり集まってくれました。達成感を得たり、子どもの成長を実感できたりするのは、間違いなくスポーツの持つ魅力だと思います。スポーツは、選手の顔ぶれやチームビルディングのあり方で多様性の大切さを伝えたり、メンタルヘルスの問題提起をしたり、社会課題をわかりやすい形で伝える推進力になれるでしょう。

森林氏:面白いですね。私もスポーツの力で最終的には世界平和も目指せると考えています。私自身もスポーツの価値について模索を続けていきたいと思います。

※    アーバンスポーツ:スケートボードやスポーツクライミングなど都市での開催が可能なスポーツ

全体写真

左から、慶應義塾高校野球部 森林監督、KPMG 宮原

【対談】森林貴彦(慶應義塾高校野球部)× 宮原正弘(KPMGコンサルティング 代表取締役社長 兼 CEO)

前編:慶應野球部の挑戦から見える、日本企業の「変革」のヒント

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