森林貴彦(慶應義塾高校野球部)× 宮原正弘(KPMGコンサルティング株式会社 代表取締役社長 兼 CEO)<前編>

2023年夏、慶應義塾高等学校野球部の夏の甲子園優勝が大きな話題となりました。丸刈りを強要しない指導方針や、同調圧力への問題提起、主従ではない監督と選手の関係性を軸とした心理的安全性の高いチームビルディングなど、森林貴彦監督のチーム作りの手腕は、企業経営における示唆に富んでいます。

今回は、森林監督とKPMGコンサルティング株式会社CEOの宮原正弘が、「正解」がないVUCA時代の新しいリーダー像や組織のあり方について語り合いました。「高校野球」と「企業経営」―2つの異なる視点から、日本企業の「変革」のヒントを探ります。

「選択肢」を提示した慶應高校野球部の勝利

宮原:慶應義塾高校の107年ぶりの甲子園優勝、私は企業経営のヒントになることがたくさんあると感じながら拝見していました。「高校野球の新しい姿につながるような勝利だったんじゃないか」という優勝インタビューでのコメントも印象的でしたね。

森林氏:すべての高校野球部に私たちのやり方を真似してほしいと思っているわけではありません。ただ、今まで「高校野球」というものはかなりイメージが固定化されていて、内側にいる人間も息苦しさを感じながらやってきた部分があると思います。そこに、「こんなやり方もありますよ」と別の選択肢を示したいと考えていました。ですから、甲子園の優勝で注目され、各チームで考えるきっかけになっていたら嬉しいですし、教育や野球以外の業界からもこのように注目していただけるのは心強いです。

 

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慶應義塾高校野球部 森林監督

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慶應義塾高校野球部 森林監督

宮原:森林さんは以前から、エンターテイメント化した高校野球のあり方や、前例踏襲の慣習や練習で思考停止に陥ることへの疑問などを訴え続けていました。ご著書『Thinking Baseball ――慶應義塾高校が目指す"野球を通じて引き出す価値"』も、一つひとつの言葉に頷きながら読みました。高校野球の常識を覆すメッセージを発信するのは、かなり勇気が必要だったのではないですか?

森林氏:たまに批判的なご意見もいただきますが、その何十倍も肯定的なご意見は多いと感じます。発信することで共感が増えるのであれば、発信すべきだと考えています。私ももう50代に入り、せっかくなら信念に基づいて突き進んでいこうと覚悟を決めました。

組織のパフォーマンスを最大化するため、「やりがい」はどう作るか

宮原:当たり前を疑うことは「言うは易く行うは難し」です。先が読めないVUCAの時代には、企業経営においても過去の成功体験が通用せず、「変革」には固定観念に捉われないイノベーティブな人材やアイデアが求められています。

ただ、企業でもスポーツでも、組織や自分の中にある固定観念や常識に違和感を持つこと、そして、その違和感を言葉にして伝えるということは、簡単ではありません。森林さんが「高校野球」のあり方に違和感を持ち始めたのはいつ頃ですか?

 

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KPMGコンサルティング 宮原

森林氏:私はずっと高校野球に憧れて野球をやっていたのですが、いざ高校生になって野球部に入部してみると、チームメートや対戦相手、周りの指導者たちなど誰を見てもあまり楽しそうには見えませんでしたし、私自身、窮屈さを感じました。好きでやっているはずの野球なのに、なぜか「やらされ感」がある。「なぜだろう?」「このままでいいのかな?」 と、高校生ながら漠然と思った記憶があります。言われたことにただ従ったり、「親が言うから」「社会ではこれが良いとされているから」という観点で何かを選択したりすることが苦手だったのだと思います。

宮原:今は時代も変わり、組織としてのパフォーマンスを最大化するためには、多様性の尊重や一人ひとりが自律的にやりがいを持って活躍できる組織環境の整備が重要だということがわかっています。

慶應義塾高校野球部も100人という大所帯の部活で、全員が背番号をもらえるわけではないというシビアな世界でもありますね。チームマネジメントはどのように工夫されていますか。

森林氏:そうですね。野球以外で貢献するという役割も当然必要になってきます。レギュラーにはなれなくてもチームが「日本一」という目標を達成するために自分はこう貢献できたという「納得感」を自分で得てもらえるようにしたい。引退する時に「野球部に入ってよかった」と思ってほしいですね。

「人間として成長できた」「良い仲間に出会えた」という納得感を持つことができたなら、その後の人生にとって大きなプラスになると思います。そのために私たち指導者が大切にしているのは、一人ひとりをしっかり観察して、意識的にコミュニケーションを取ることです。監督だけでなくスタッフ全員で選手たちが悩みを相談しやすい空気を作ることを意識しています。

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宮原:試合には出られなかったけれどデータ分析をしてくれたという選手がいたり、ポジションや役割の変更を受け入れてくれたり、ムードメーカーになったりと、色々な貢献の形があったそうですね。

選手たちの自発性や多様な価値観、考えを最大限活かし、納得感を持ってそれぞれが役割を担えることこそが、チームとしての最大のパフォーマンスとやりがいを両立させることなのだと感じます。

心理的安全性の高いチーム作りのポイントは「リスペクト」

宮原:私が心理的安全性の高い組織づくりという点で大切にしているポイントの1つは「リスペクト」です。

我々のようなコンサルティング会社は専門性をもった人たちの集まりなので、年齢も性別も国籍も、過去の実績もバラバラ。ですから、ゴールを明確にして全員でそれを共有しながら、フラットに意見を言い合えることを大事にしています。新入社員にも「会社やクライアントや社会のためになることなら、思ったことはなんでも発言してくださいね」と伝えていますが、そこには必ず「リスペクト」が伴っている必要があります。

森林氏:非常に共感します。遠慮して何も言い合えないような関係は良くないですが、「馴れ合い」になってしまったら意味がありません。年齢によって生じる関係において、リスペクトは絶対に必要です。年下は年上を敬い、逆に年上は年下を気遣うというのは、上下関係ではなく礼儀としてしっかり教えています。社会に出てからも必要なことですよね。

宮原:森林さんも選手に対して1人の人間としてのリスペクトをもって接していますよね。選手たちから「監督」ではなく「さん付け」で呼んでもらうなど、距離が近くなることで体の不調や怪我を申告しやすくなったり、プレーに関して円滑なコミュニケーションが生まれたり、心理的安全性の高さがチームの強さにもつながっているように思います。チームのコミュニケーションを加速させるために、他に実践されていることはありますか?

森林氏:おっしゃるとおり、心理的安全性を「強さ」というその先の目的につなげていくという点が重要です。

コロナ禍で部活動ができない時期は、コミュニケーションについて本当に深く考えさせられました。あの時期は、人と距離を取り、会話も禁止、食事も1人でとるようにと、指導者としてコミュニケーションを断ち切ることばかりを伝えなければなりませんでした。「このままでは今までチームとして培ってきたものが断絶してしまう」と危機感を覚えて始めたのが、月1回の勉強会です。

毎回、人間国宝やスポーツの指導者など各界のプロフェッショナルたちが自らの生き様や体験談を語った記事を選び、部員全員で読んで感想文を書きます。その感想文を、4人ほどの少人数のグループでお互いに読み合うのです。遠い世界に感じられる偉人の話でも、繰り返していくうちに自分の生活や人生に引き寄せて考えられるようになります。教育の世界で「自己関連付け」と呼ばれるものですね。グループは、ポジションや学年が敢えてバラバラになるように組み、お互いの考え方や野球以外の横顔を知ることができるようにしています。

また、この勉強会では、同じグループになったメンバー同士で、互いの良いところを伝え合うという時間も設けています。「練習でいつも声をかけてくれる」「練習後にこんなことを教えてくれた」など、とにかく良いところを伝え合う。悪いところを見つけるのは簡単ですが、良いところは相手をしっかり見ていないと言えないものです。こういう勉強会を毎月持つことで相互理解が深まり、だいぶチームワークが回復してきたように思います。勉強会を始めて2年ほど経ちましたが、今は大学の野球部にも導入されています。

宮原:野球の技術を磨くだけでなく、人間としてどう成長するかを大切にされているのですね。コンサルティングの世界でも、専門性や知識だけでお客様を動かすことはできません。人間としての魅力で、いかにチームやクライアントなど、さまざまなステークホルダーを巻き込んでいけるかは重要なポイントです。

森林氏:まさしく、この2年間重視してやってきたのは、野球を通じて「人間力を育む」ということでした。

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慶應義塾高校野球部 森林監督

 

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目先の勝利ではなく、長い目で未来を見据える

宮原:チーム目標「甲子園出場」や「優勝」を掲げている高校野球部は多いと思いますが、森林さんや慶應の選手たちは「日本一になって高校野球の新しいあり方を示したい」と、優勝の先を見据えていましたね。

森林氏:私たちはずっと「慶應日本一」という目標を掲げてやってきましたがこの言葉には2つの意味があります。1つは「野球で日本一になる」ということ、もう1つは「日本一にふさわしいチーム、部員になる」ということです。前述した勉強会も、部活動の中で野球の練習時間を削って行っているわけですが、これは野球部だから野球だけやっていればいい、という考え方ではダメなんだという意識があったからです。

「野球だけやって90歳になるわけじゃない」と部員たちにはいつも話しています。たとえプロになれたとしても、40歳ぐらいで引退を強いられるシビアな世界です。野球以外の人生の方がずっと長いのです。

宮原:企業経営も同じですね。コロナ禍で、私たちもリモートワークがメインになるなど働き方や生活の常識が大きく変わったのを機に、改めて会社の存在意義を見つめ直してきました。もう一度我々のパーパスを考えようということで、「利益と同時に、社会の繁栄と人々の幸せも実現する」という考え方を社内で共有しています。我々だけが収益を上げて良しとするのではなく、その繁栄を社会に共有する。多様なステークホルダーを巻き込みながら、固定観念にとらわれず未来の可能性を信じて挑戦する。持続可能な社会の繁栄のため、さまざまな変革を推進していくコンサルティング会社にしよう、という考え方です。

目先の成長や利益だけを追うのではなく、中長期的な持続可能性を考え、経済価値と社会価値を両立させることが、結局は企業価値の向上につながります。

全体写真

左から、慶應義塾高校野球部 森林監督、KPMG 宮原

高校野球の世界で「人間力」を重視した森林監督の指導は、チームビルディングや、パーパスの共有など、ビジネスの世界にも通ずるテーマに溢れています。

引き続き「後編」では、ここから学ぶ企業の変革についても掘り下げていきます。

【対談】森林貴彦(慶應義塾高校野球部)× 宮原正弘(KPMGコンサルティング 代表取締役社長 兼 CEO)

後編:変革の時代に必要なリーダー像とAIに代替できない「人間力」

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