ROIC経営を通じた 「経営改革力向上」の重要性

PBR1倍割れ改善に求められる具体的な改善策とは何だろうか。KPMGジャパン/あずさ監査法人で企業価値向上に関するアドバイザリー業務を担当する土屋 大輔に、同社の加藤 拓也が聞いた。

PBR1倍割れ改善に求められる具体的な改善策とは何だろうか。KPMGジャパンで企業価値向上に関するアドバイザリー業務を担当する土屋 大輔に、同社の加藤 拓也が聞いた。

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この記事は、「日本経済新聞電子版(期間:2023年10月25日~11月25日)」に掲載されたものです。発行元である株式会社日本経済新聞社の許可を得て、ウェブサイトに掲載しているものですので、他への転載・転用はご遠慮ください。

東京証券取引所(東証)は2023年3月、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について」を公表し、PBR(株価純資産倍率)が“1倍割れ”に低迷する上場企業に対して解決策を開示・実行するように要請した。株式市場や投資家からは資本効率や収益性の改善を見込む期待が広がる一方、企業が開示した改善策が評価されず、株価が上昇しないばかりか低迷することも懸念される。そうした事態を回避するため、企業経営者は具体的にどのような改善策を講じればよいのだろうか。KPMGジャパン/あずさ監査法人で企業価値向上に関するアドバイザリー業務を担当し、ROIC(投下資本利益率)経営関連の書籍も出版する土屋 大輔に、同社の加藤 拓也が聞いた。

“PBR1倍割れ改善”の真意と企業が抱える問題

加藤 東証が“PBR(株価純資産倍率)1倍割れ改善”の要請を出したのに伴い、多くの上場企業が改善に向けた施策に取り組み始めています。ただし、こうした動きはいまに始まったものではなく、15年に策定されたコーポレートガバナンス・コードで言われている「資本コストを意識せよ」というメッセージと大きな違いはないように思います。今回の動きをどのように見ていますか。

土屋 東証からの要請自体は、本質的に何も変わっていません。今回はPBRという指標が示されたものの、これを意識して企業価値を上げてほしいというメッセージに過ぎないと感じています。加藤さんが指摘したように、東証は15年にコーポレートガバナンス・コードを策定し、これまでに2回改訂していますが、企業の動きは鈍いままでした。そうしたなか、東証だけでなく金融庁も危機感を持ち始め、PBRという指標が示されたと捉えています。

加藤 今回の要請は、企業の動きが鈍い、すなわち多くの企業でコーポレートガバナンス・コードへの対応がうまくいかなかったことを表しているということですが、企業の何が問題であり、どのような改善が求められるのでしょうか。


土屋 問題にはさまざまな要因が複合的にからんでいます。コーポレートガバナンス・コードへの対応は、ほとんどの企業がすべての原則に従おうとしています。チェックリストを作成して1つずつ対応できているかどうかを確認しているわけですが、実質的に求められていることを検討せず、「(形式的には)対応できている」という、いわばポーズを示す姿勢になってしまっていることに大きな問題があります。とくに今回の要請を踏まえると、基本原則4に規定されている収益力・資本効率の向上について、それがなぜできていないのかを改めて確認して見直すべきです。多くの日本企業で典型的に見られるPL(損益計算書)重視の経営から脱却し、バランスシートやキャッシュフロー、すなわち「資本コスト」を意識することが必要です。

もう1つの問題は、ROE(自己資本利益率)が8%を割り込むような事態に直面したときに、対症療法で乗り切ろうとするところにあります。典型的なものとして、ROEを上げるために株主還元を増やして資本を減らすといった付け焼刃的な対応やROIC(投下資本利益率)を試しに算出して経営会議で報告してみるというのがあります。これらは何に取り組むべきかを議論できていないところに本質的な問題があると言えるでしょう。日本企業はリーマン・ショック以降、事業の買収を積極的に推進しましたが、事業の売却・撤退には消極的でした。これにより事業の数だけ増えてしまい、必ずしも自社がベストオーナーとは言えない事業を抱え込んでいます。いま日本企業に求められるのは、事業ポートフォリオの見直しを継続的かつ不断に行う経営の仕組みを導入し、資本コストを上回るリターンが得られる事業に経営資源を集中することなのです。

お問合せ

土屋 大輔

KPMGサステナブルバリューサービス・ジャパン
あずさ監査法人 サステナブルバリュー統轄事業部
サステナビリティトランスフォーメーション マネージング・ディレクター

ROIC経営に不可欠なルールとプロセスの策定

加藤 つまり、資本コストを軸に事業の選択と集中を進めることが重要だということですね。多くの企業は事業別にROICを算出して評価に使用し始めていますが、うまく機能していないということでしょうか。

土屋 端的に言うと、ROICをうまく使えていません。ROICは「利益÷投下資本」という計算式の指標ですが、多くの企業はこれをツリー展開しようとします。事業別に算出したROICを頂点として細かくツリー展開し、個別のKPI(重要業績評価指標)を改善する活動は、既存事業の業績を高めるうえで一定の効果は得られます。しかし、これは全体最適の視点でどの事業に経営資源を配分すべきかを評価・判断する活動とは異なります。ROICツリーにばかり目が行っていては、事業部門の取り組みはサイロ化し、個別最適に陥ってしまいます。ROICを導入したらまずはツリー展開しなくてはいけないという発想が、いわばROICの罠(わな)なのです。

ROICは本来、どの事業がどれだけ稼いでいるのか、企業の付加価値を高めるために経営資源をどこに配分すべきかを判断するために使うべきです。ROIC経営の神髄(しんずい)は、企業価値の視点からポートフォリオを真正面から評価することにあります。

加藤 ROICを事業ポートフォリオの組み換えに使えていないのはなぜなのでしょうか。

土屋 経営資源の最適配分に関する明確なルールを設けている企業が少ないか、ルールがあっても、その通りに運用できていないことが挙げられます。これらはルールの重要性が企業経営者の間に浸透していないことが背景にあります。つまり、経営レベルで資本コストを軸に事業を評価する意義が十分に理解されていないのです。

ルールは判断の基準であり、ルールどおりにする場合も、そうしない場合もあります。その際にはどうしてそう判断したのか、説明責任を果たす仕組みとしてもルールは機能しなければなりません。また、ルールはプロセスが整備されていてこそ初めて機能するものです。経営会議や取締役会などで、それぞれが何を意思決定するのか、そのために必要な情報や分析、それらの検討・審議プロセスはどのようなものかを再定義する必要もあります。

ROIC経営を通じた 「経営改革力向上」の重要性-3

加藤 拓也

KPMGサステナブルバリューサービス・ジャパン
あずさ監査法人 サステナブルバリュー統轄事業部
サステナビリティトランスフォーメーション シニアマネジャー

資本コストを意識して「経営改革力」を高める

加藤 株主還元策を強化する企業も増えてきています。

土屋 日本企業は株主還元を「利益からの還元」で捉えることが多く、配当性向や総還元性向を使用する傾向が強いようです。しかし、これは利益の何割を還元に回すのかを示しているのに過ぎず、本来必要なバランスシートやキャッシュフローの視点が入っていません。

加藤 株主還元に必要なバランスシートの視点とは何を指しますか。

土屋 バランスシートの視点は、まさに最適資本構成に基づく株主還元を指します。最適資本構成は事業ポートフォリオを支えるためにあるべきDEレシオ(負債資本比率)を指します。最適資本構成が決まれば、バランスシートから見た還元余力も自ずと決まることになります。また、最適資本構成はWACC(加重平均資本コスト)にも影響します。WACCを決める要素としてDEレシオなどの指標も含まれますが、ここで知っておきたいのはバランスシートが最適化されていないと、そもそもWACCを導出できないということです。日本企業には最適資本構成の考えが十分に浸透していないため、手元で算出されたWACCが事業や財務リスクを適切に反映したものになっているのかを検証する必要があります。

加藤 つまり、資本コストの意識を根づかせるためには、バランスシートについても明確なポリシーを持つ必要があるということでしょうか。

土屋 その通りです。ただ、よく見受けられるのは、事業ポートフォリオは経営企画部所管、バランスシートは財務部所管と縦割りの組織構造の中で、それぞれが方針や戦略を立案しているケースが多いという点です。これは本来、経営視点で一体的に検討すべきです。別々の部署で検討していては、全体最適を欠き、企業価値向上につなげるという目的も失われてしまいがちです。先ほどROICのツリー展開は事業部門の取り組みのサイロ化や個別最適を招くことに言及しましたが、コーポレート部門にも同様の問題があり、企業価値向上を阻害しているように見受けられます。これでは本質的に企業価値は向上しません。

企業価値を高めるうえで最も重要なのは、ルールやプロセスを順守(じゅんしゅ)し説明責任を果たすことができる組織横断の仕組みを経営視点・全体最適の視点で導入することで、ガバナンスを効かせ「経営改革力」を高めることだと考えています。

加藤 日本企業が抱える問題点と改善策について、さまざまな話を聞きました。資本コストをきちんと意識した経営が重要であることも認識できました。最後に改めて「ROIC経営の本質とは何か」を説明してください。

土屋 日本でもROIC経営に取り組む企業が増えており、それは非常に喜ばしいことだと考えています。そのROIC経営の本質は、やはり企業価値向上に向けて「経営改革力」を高めることにあります。とくに重要なのは、どの事業に経営資源を配分して注力していくかという事業ポートフォリオマネジメントです。注力する事業を決めて経営資源を投入し、そうでない事業からは投資を引き上げるといった判断が必要です。また、その事業ポートフォリオをバランスシートでどう支えるのか、財務戦略・資本政策を立案することも重要です。さらに、稼いだキャッシュを、成長のための投資、債務の返済、株主還元など、何にどう配分していくのかを考える必要があります。これらをすべて企業価値向上の観点で関連づけることで経営判断の規律づけを行い、実行に移していく必要があります。そのためにROIC経営のルールとプロセスを策定することが、多くの企業にとって最優先課題であると言えます。

会計ファームのKPMGジャパンは、“PBR1倍割れ”の対応を契機として、日本企業がROIC経営に本気で取り組み、ガバナンスを効かせて「経営改革力」を向上させ、持続的に企業価値を高めてほしいと願っています。KPMGジャパンはその実現のために、事業ポートフォリオマネジメントや財務戦略立案、キャッシュアロケーションと投資戦略の最適化を経営管理の仕組みとして一体的に導入するご支援をしています。こうした取り組みを通じて、多くの企業が“PBR1倍割れ”に陥る状態を解消し、日本企業全体の魅力が高まっていくことに貢献したいと考えています。

ROIC経営を通じた 「経営改革力向上」の重要性-4