従業員エンゲージメント~脳科学視点からの活用効果と今後の展望

本稿では、ヒトの進化の歴史と脳機能の本質を背景として紹介するとともに、脳科学の視点から従業員エンゲージメントを高める効果と科学的根拠について解説します。

本稿では、ヒトの進化の歴史と脳機能の本質を背景として紹介するとともに、脳科学の視点から従業員エンゲージメントを高める効果と科学的根拠について解説します。

既に欧米では広く浸透しつつある、企業における組織と個人の“エンゲージメント”という概念ですが、数年前から日本国内でも「従業員エンゲージメント」として認知され、多くの企業でeNPS取得など可視化の取組みに着手しています。一方で従業員エンゲージメントが今なぜ経営にとって大事となるのか、企業は何を得て、個人や個人を通じた第三者へと何を還元していかなければならないか、経営者や人事部門も明確に即答できないのではないでしょうか。本稿では、ヒトの進化の歴史と脳機能の本質を背景として紹介するとともに、脳科学の視点から従業員エンゲージメントを高める効果と科学的根拠について解説します。永続的な投資判断への参考の一助となれば幸いです。なお、本文中の意見に関する部分は筆者の私見であることをあらかじめお断りしておきます。

ポイント

  • 集団を形成し、協力し合うことで過酷な環境を生き延びてきたヒトの脳は、「集団から認められる」=「Reward(報酬)」、「集団から排除される」=「Threat(脅威)」を本能的に感じる仕組みとなっている。
  • 「Reward」状態にある脳は記憶や分析といった認知機能や、難易度が高い目標へチャレンジするなど主体性が高まる傾向にある一方、「Threat」状態にある脳は認知機能や主体性が弱まる傾向があり、周囲の評価などを気にしてしまう状態になりやすい。
  • 一企業において組織と個人の関係性を表す従業員エンゲージメントの度合と「Reward」および「Threat」状態の間に相関関係があることをSCARFモデルが示しており、従業員エンゲージメントが高いことのメリットが脳科学的に証明されている。

I. 脳は本能的に「Reward」を求め、「Threat」を避けようとする

ヒトは種の生存確率を高めるために、生き残り戦略として“集団形成”を選択したと言われています。集団を形成し、さらに社会を形成することで、狩りや農業を成り立たせて子孫を残し繁栄してきました。より過酷な環境においても集団として生き残り進化したヒトの脳は、意識的・無意識的に“自身が所属する集団をいかに存続させるか”、“集団からいかに認められるか”、“集団からいかに排除されないようにするか”を考えます。自身が所属する集団の崩壊や集団からの排除を避けるために、脳は社会的な立場(収入の高さ、居住エリア、学歴など)、周囲との関係性(周囲に対する自身の立場の優劣など)や評判などに自然に注意を向けるよう発達してきたと言われています。
そういった周囲との関係を通じて、脳が「集団から自身の存在が認められている」と感じる場合は“生”、もしくは食べ物や収入を得ることと同様に「Reward(報酬)」と捉えます。そして「Reward」状態にある脳は“生存確率が高い状態”と判断し、“快”と感じます。脳は生存確率をさらに高めるために“快”と感じるキッカケとなった行動や環境を求める傾向にあり、「Reward」状態を維持・強化しようとします。
一方で、日常社会の中にあって“サーベルタイガーに襲われる”といった命を直接脅かす脅威は存在しないまでも、「集団から自身の存在が排除されている」と感じる場合は“死”もしくは、「Threat(脅威)」と捉えます。前述の「Reward」とは逆に、「Threat」状態にある脳は“生存確率が低い状態”と判断し、“不快”と感じます。脳は生存確率を高めるために、“不快”と感じるキッカケとなった行動や環境を避ける傾向にあり、「Threat」状態を緩和・弱化しようとします。
脳が「Reward」状態にあるとき、ワーキングメモリー※1をつかさどる前頭前野が活性化され、認知資源が増えると言われています。その結果、目の前のタスクへの集中力や洞察力、創造力や問題解決力など、成果を出すために必要な様々な種類の思考力が高まりやすくなることが分かっています。また、認知資源とは心理学の用語であり、集中や意思決定など脳が活動するときに消費するリソースと定義されています。たとえば、Appleの共同創業者の故スティーブ・ジョブズ氏が生前、黒のタートルネックにジーンズというスタイルを貫いていた理由は、必要のない決断回数を減らすため(認知資源の消費を抑えるため)、と言われています。また学習や能力の成長といった観点では、より高い目標や新たな分野へ挑戦する傾向が強まることも確認されています。
一方、脳が「Threat」状態にあるときの様々な反応の中から1つを取り上げると、前頭前野が酸欠状態・認知資源不足に陥りやすく、創造力や問題解決力が低下してしまうことが分かっています。

※1 ワーキングメモリーとは何か目的を持った作業をしている時に使われる記憶機能

II. 従業員エンゲージメントが高い脳は「Reward」状態であることが多い

米Neuroleadership Institute※2(以下「NLI」という)は、米国内のある銀行を対象に行った実験結果※3を基に、従業員エンゲージメント(定義ついては後述)が高い場合に脳は「Reward」状態であることが多く、低い場合に脳は「Threat」状態であることが多いと説明しています(図表1参照)。つまり従業員エンゲージメントが高い状態を作ることは、以下のような効果の創出に繋がると考えられます。
  1. 従業員が組織や個人の目標を達成するうえで欠かせない創造力や問題解決力などを発揮しやすくなる
  2. 洞察力や記憶力が高まることで学習を促進し、成長スピードがはやくなる
  3. より難易度が高い目標や新たな分野へ挑戦しやすくなる

図表1 エンゲージメントとSCARFモデルとの関係

図表1 エンゲージメントとSCARFモデルとの関係

Neuroleadership InstituteのNeuroscience of engagement and SCARF: why they matter to schoolsを基にKPMG作成

※2 Neuroleadership Instituteとは、ニューロサイエンスの観点から組織マネジメント研究を行っている研究機関およびコンサルティング会社。2015年からKPMG AustraliaはNeuroleadership Instituteと協働し、脳科学の知見に基づいた組織マネジメント改革のソリューションを開発

※3 David Rock and Dr. Yiyuan Tang, 2009, Neuroleadership Institute, “Neuroscience of engagement”

III. SCARFモデルは「Reward」および「Threat」を感じる要因を明らかにする

NLIのCEOデイビッド・ロック氏は、脳が認識する「Reward」および「Threat」の両方に影響を与える要因を「SCARFモデル」※4にまとめました。図表1においてロック氏は、脳が「Reward」を感じやすく、「Threat」を感じにくい組織の仕組みや仕掛けを作ることで、従業員は記憶力や思考力といった脳機能をさらに発揮しやすくなると提唱しています。

  • Status(立場)

他者(同僚、上司、部下等)と比較して、自身は相対的に重要かどうか。職位や収入など様々な観点で自身の立場を他者と比較し、自身が有利か不利かを意識する。有利と感じると「Reward」状態に、不利と感じると「Threat」状態が脳を占める。

  • Certainty(確実性)

自身はある程度正確に次の出来事の予測をたてられるかどうか。脳は過去の経験から学んだことを基に判断・予測する。脳は経験したことや知っていることに対して安心を感じ「Reward」状態に、新たな挑戦や先行き不透明な状態に対して不安を感じ「Threat」状態が脳を占める。

  • Autonomy(自由裁量)

出来事のプロセスや成果に対して自身はコントロールできると感じられるかどうか。意思決定の自由度が高いと「Reward」状態に、マイクロマネジメントの強化、指示や命令に従わなかった時の叱責や罰則など自身の自由意志、選択の余地や行動が認められていないと感じると「Threat」状態が脳を占める。

  • Relatedness(仲間意識)

自身は他者を敵ではなく友達と感じられるかどうか。他者から必要とされている・認められていると感じると安心を感じ「Reward」状態に、無視されていると感じると不安を感じ「Threat」状態が脳を占める。

  • Fairness(公平性)

自身は周囲から平等に扱われていると感じられるかどうか。他者と比較して自身が同等に扱われていると感じると安心を感じ「Reward」状態に、差別されている、損をさせられていると感じると不安を感じ「Threat」状態が脳を占める。

※4 David Rock, 2008, Neuroleadership Institute, “SCARF : a brain-based model for collaborating with and influencing others”

IV. 従業員エンゲージメントとは“組織と個人が握手”している状態である

企業と従業員の関係性の中にあって、“エンゲージメント”とは組織と個人がそれぞれ目指しているゴールの達成へ向けた対等かつ協力的な関係性を意味します。エンゲージメントと似たような概念として、ロイヤルティと満足度がありますが似て非なるもので、ロイヤルティとは組織が目指しているゴール達成のための個人による一方的な貢献(あるいは自己犠牲)であり、満足度とは組織によるサポートに対する個人の納得感を指します。従業員エンゲージメントとは“組織と個人が握手している状態”ともイメージでき、双方の利益のため双方が助け合うという対等な構図であることが概念解釈の最大のポイントです(図表2参照)。

図表2 満足度、エンゲージメント、ロイヤルティの違い

図表2 満足度、エンゲージメント、ロイヤルティの違い

従業員エンゲージメントを測定する様々なアプローチがある中でもAppleやGoogleなど多くの企業が採用しているアプローチがeNPS(Employee Net Promoter Score)です。EBITDA(Earnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortization)のような経営指標が財務状況を可視化できるように、eNPSは企業と従業員の関係性をより正確に可視化できる経営指標として多くの企業に利用されています。
従業員の生活や人生にとって“よい職場”であり続けるためにeNPSによる組織と従業員の関係性の可視化は、近年日本の多くの企業で導入が進んでいるものの、得られた定量・定性結果から、課題真因を分析し、最善な関係構築に向けた打ち手を投じ、成果をモニタリングしていくといったPDCAサイクルを永続的に回し続けるには至っていません。十分な投資判断がなかなか進まない理由として、得られる対価試算が困難であるがために優先度が上がらないことが安易に想像されます。「従業員エンゲージメントが高まれば、具体的に企業はどういったベネフィットを短期・中長期的に得ることができるのか」という問いに対し、明確な回答を持ち合わせていないのです。しかしながら前記に述べてきたように、従業員エンゲージメントが高まるほど、個人のモチベーションや内発性を高めやすく、人工知能(AI)に代替不可能な創造的・判断的な能力が高まることがわかっており、従業員エンゲージメントを高めることが競争優位の源泉の保持への投資そのものであるということを、我々は改めて認識することができるのです。KPMGコンサルティングでは、EVPフレームワーク(Employee Value Proposition Framework)を活用し、従業員エンゲージメントを高める要素の洗い出しを支援します(図表3参照)。

図表3 Employee Value Proposition(EVP)の6領域

図表3 Employee Value Proposition(EVP)の6領域

従業員エンゲージメントを高めるためには、従業員にとっての職場が“有益である状態”が具体的に何を指すのかを、掘り下げて考える必要があります。それは従業員一人ひとりの職場外の時間も含めた24時間、さらには人生100年時代とも言われるライフタイムそのもの=“生活の一部”としての“よい職場”の在り方です。個人が対峙する地域社会、家族友人、情報・最新テクノロジーなどと、所属組織との関係の在り方も従業員エンゲージメントを高めるうえではより重要な要素になっていくはずです。
従業員エンゲージメントを“戦略”として捉え直すことは、企業が世の中に“機会をつくりだす”ことにも繋がっていきます。たとえば、地域における企業主導のソーシャルイノベーションなどのような社会変革のキッカケにも双方における“エンゲージメント”という概念を適用することが可能なのです。

執筆者

KPMGコンサルティング株式会社
ピープル&チェンジ
パートナー 大池 一弥
マネジャー 深谷 梨恵
コンサルタント 橋爪 謙

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