2020年以後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大に対応した行動制限によって、観光産業は大きな打撃を受けました(以下、コロナショック)。急激に縮小した旅行市場に対応するため、観光産業では投資の抑制、雇用の調整に取り組んでいたこともあり、今後は一転しての急速な需要回復への対応が注目されています。

一方で、投資、雇用ともにすぐに従前の規模に回復させることは難しいことから、それぞれに最適配分、効率向上等に対する意識が非常に高まってきています。その手法として、なかでも注目されているのが、観光産業におけるDX(デジタルトランスフォーメーション)の概念の導入、いわゆる観光DXです。

本稿では、日本の観光業界が抱える課題と観光DX推進の動向について考察します。

1.低い生産性と担い手不足、および情報化対応の遅れ

観光産業は、その市場規模、成長性や産業連関における裾野の広さなどから、日本の経済発展を牽引するものとして大きな期待を受けています。しかし、構造的な課題として全般的に生産性(従業員1人当たりの付加価値額)が低い傾向があることから、生産性向上に向けたさまざまな対策が講じられてきました。また、この度の需要縮小に対応した雇用調整の結果、現在では担い手不足の影響が色濃く表れています。

(1)生産性や担い手不足に対する構造的課題

観光産業の多くは、その付加価値を生み出すうえで、対面での従事を大切にしており、労働集約型産業としての性格を持ちます。このような産業は、他業種に比べて低い生産性となりやすい傾向があります。実際、観光産業を代表する産業である宿泊業の生産性を見ると、全産業(金融業、保険業以外)と比較して7~8割の水準にとどまり、しかも長らく低下傾向にありました。コロナショックによる影響も大きく、その後も全産業に比べて回復が追いついていない状況です。

【日本における生産性の推移比較(「従業員一人当付加価値」の統計値)】

観光DX ~デジタル化する観光~_図表1

出典:財務省財務総合政策研究所「法人企業統計調査」を基にKPMG作成

これに加えて、小規模事業者が多いこと、平日と休日での繁閑の差が激しいことによる低い収益性も課題となってきました。生産性や収益性の低さは賃金の低さにつながるほか、休日が繁忙期という特性から、特に若年労働者からは友人と休暇を合わせにくいという声も寄せられるなど、担い手、従業員の確保に苦戦する傾向も見られます。

(2)情報化への対応の遅れ

このような対面での従事を重視する姿勢は、オンラインに不慣れな高齢者等による旅行需要の顕在化に寄与し、観光客に対するおもてなしとして一定の評価を得ていた一方で、観光産業全体での情報化への対応の遅れにもつながってきました。特に小規模事業者を中心に、個人旅客の獲得には必須とも言えるオンライン予約・販売システムへの対応が進んでおらず、顧客管理や労務管理等のさまざまな場面でも手作業を残している事業者は多いとされています。

コロナショックによって、これまでも指摘されていたような、個人旅行のオンライン手配へのシフトは一層顕著になっています。大手旅行業者においても支店の統廃合など営業ネットワークの最適化に並行して、オンラインシフトが進められているなかで、小規模事業者にとっても対応待ったなしの状況です。

以前より、観光産業の情報化に向けた取組みは業界全体の課題として強く認識されており、国をはじめとした公的機関からの積極的な支援も行われていましたが、コロナショックを経て生産性向上への注目度がかつてなく上昇していることを受け、本格的な取組みの機運が高まりつつあります。

2.観光業界にも求められる情報化の推進

書籍『第三の波』(アルビン・トフラー著、1980年)は、「現代は、農業革命(第一の波)による農耕社会の成立、産業革命(第二の波)による産業社会の成立に次ぐ、情報革命(第三の波)の動きのなかにある」としています。そこに記された情報革命の予測結果には、在宅勤務の進展などすでに現実化したものもあり、当時予想された変革の方向性に沿って、急速に社会は変わりつつあると考えられます。

情報化の波によるさまざまな変革を示すために、OA化、IT化といったすでに一般化したものをはじめ、時代に応じたさまざまな表現が生み出されました。現在のビジネス界で好んで用いられる用語そして概念が、最近新聞や雑誌でもたびたび取り上げられる「DX」です。

(1)社会に対するDXの浸透

DXはわかりにくい概念ですが、日本では「デジタルガバナンス・コード」(経済産業省発行、現行版は2.0)に記された定義※1が一般に用いられており、変革による競争上の優位性の確立が目的とされています。簡潔に言えば、その進捗は、アナログのデジタルデータへの置換(デジタイゼーション)、デジタルデータを活用した業務の改善(デジタライゼーション)、そして組織や文化の変革(DX)と3つの段階で進むとされています。

(2)観光庁の推進する「観光DX」による施策展開

前章で整理したように、コロナショックをきっかけに、観光産業でも情報化の推進が求められ、DXの概念の導入に対する期待が高まっています。観光庁では、2022年度に「観光DX推進のあり方に関する検討会」(以下、「検討会」)を開催し、観光DXを「業務のデジタル化により効率化を図るだけではなく、デジタル化によって収集されるデータの分析・利活用により、ビジネス戦略の再検討や、新たなビジネスモデルの創出といった変革を行うもの」と定義しました。

経済産業省が企業・事業者による競争優位性確立を正面から掲げているのに比較すると、観光庁は地域間・業種間での連携した取組みなど、観光地全体での共存共栄を打ち出している印象です。そのような両者の定義は異なるように感じる部分もありますが、今後、観光分野でDXを論じる際には、こちらの観光庁による定義が用いられることになると思われます。

「検討会」は、観光地および観光産業における現状と課題を整理するとともに、課題の解決策、将来ビジョン、2027年度までのロードマップ等を「観光 DX 推進による観光地の再生と高度化に向けて(最終とりまとめ)」(以下、「とりまとめ」)として公表しています。旅行者の利便性向上・周遊促進、観光産業の生産性向上、観光地経営の高度化、観光デジタル人材の育成・活用の4つを観光DXにおける検討の柱としており、当面は、この「とりまとめ」に基づいた施策展開がなされていくものと考えられます。

【国の観光DX推進に向けた検討の柱】

観光DX ~デジタル化する観光~_図表2

出典:観光DX 推進のあり方に関する検討会「観光DX 推進による観光地の再生と高度化に向けて(最終とりまとめ)」(2023年3月)

3.観光産業の発展に向けて、さらにその先へ

観光庁が「とりまとめ」を公表したことにより、国として掲げる観光DXの課題と目指す姿は明らかになってきました。4つの観点でそれぞれに目指すべき姿が描かれていることに加え、「観光DX」のウェブサイトにおいては事業例が掲載してあり、具体的にはどういった内容が期待されているのかを把握することができます。

一方で、これらはいずれも日本を代表する事例であり、もともとの問題意識であった観光産業の生産性の向上という観点からは、もっとさまざまな問題点を抱えています。以下に代表的なものを整理します。

(1)幅広い産業、多様な企業の底上げを図る難しさ

観光産業の生産性向上については、宿泊業を中核として施策展開が行われていますが、より幅広い他業種による観光産業においても必要と考えられます。また、紹介されている成功事例は、知名度の高い地域や規模の大きな企業のものが中心となっていますが、生産性の低い事業者は知名度の低い地域、規模の小さな事業者に多いことから、それらの地域や事業者をどのように掬い上げ、まとめていくかを検討することが次のポイントになります。

(2)事業者だけでなく観光地としての強化を考える難しさ

DXにかかる観光庁の定義は、一般的に用いられている経済産業省の定義に比べると、事業者単独で見るだけでなく、地域としての強さを生み出そうという意気込みが感じられるものです。観光行動を考えてみても、まず訪問地域を決めてから訪問先や宿泊先を探すという動きは一般的であり、個別事業者にとっても、地域としてのブランド力は非常に重要なものです。一方で、複数の事業者による連携は、互いの利害が関係することからDXの導入にあたって大きな障壁となります。そのため、データを利用した観光地経営の検討は、入口の難度が高くなりやすいものとなっています。

(3)デジタル対応可能な人材の確保の難しさ

観光産業におけるデジタル人材の確保も大きな問題点となっています。多くの観光産業がデジタル人材に限らず、担い手不足を課題としているなか、各地で引く手あまたなデジタル人材を確保することは至難の業です。そのため、当面は観光産業に携わっている人々のデジタル対応強化という施策が主とならざるを得ません。しかし、将来的には働き方改革等によって外部から高度人材を確保していけるよう、DXの範囲とは異なる側面からも検討が必要です。

観光、そしてDXのいずれも時代のキーワードであることから、観光DXに対する注目は今後も日々高まると予想されます。一方で、観光DXを目的にしてしまう失敗例も出てくることも想定されます。そのようななか、これは目的達成のための手段である、ということを肝に銘じて観光DXに取り組むことが、成功への第一歩となるでしょう。

※1:企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること

<参考資料>

※本文中に記載されている会社名・製品名は各社の登録商標または商標です。

執筆者

KPMGコンサルティング
シニアマネジャー 妹尾 康志

公共分野におけるデジタル化の潮流

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