ベトナムは、ASEAN域内で3番目に多い約9,600万人にのぼる人口を有する共産主義国家である。近年のベトナムの経済成長は目覚ましく、過去5年の経済成長率は年平均6~7%で推移しており、名目GDPは2020年にシンガポールやマレーシアを抜き、ASEAN加盟10ヵ国中4位に躍進する見込みとなっている。また、ベトナムは、日本の中小企業の海外進出有望国・地域として7年連続で1位に選出され、日本企業が世界で最も注目する国と言える。

ASEAN主要国のGDP、GDP成長率および人口比較(2019年)
ASEAN主要国のGDP、GDP成長率および人口比較(2019年)

ポイント

  • ベトナム市場に参入する際には、「現在の政治経済」という視点からだけでなく、ベトナムがどのように現政治・経済体制までに発展したかを、歴史的・地政学的な観点から理解することが重要である。
  • ベトナム市場参入にあたっては、「ベトナム共産党内の派閥のダイナミクス」、「プロジェクト担当者と幹部間のつながり」、「プロジェクト開発地と事業内容」という3つのポイントを中心に事前調査を実施する必要がある。

はじめに

ベトナムは、共産主義を政治体制の根幹に置きつつも、1986年以降は「ドイモイ」と呼ばれる市場経済メカニズムを取り入れている。近年は、外資系企業誘致にむけ、不動産登記や納税に係る各種手続き時間・回数等の削減等、ビジネス環境の向上に国を挙げて取り組んでいる。結果、ベトナムの世界銀行の2019年版「ビジネス環境ランキング(Ease of Doing Business Ranking)」における順位は、総合70位まで改善した。今後、2025年までには、ビジネス関連の行政・認可手続きに係る手間・時間をさらに20%削減することを目指している。
一方で、賄賂や横領をはじめとする汚職文化は十分に改善されていないようだ。腐敗認識指数ランキグでは、2020年で対象183ヵ国中104位であった。また、ベトナム国内で公表された「ベトナム腐敗バロメーター」報告書(Towards Transparency 2020)においても、調査時点の2019年で、過去12ヵ月間に汚職が増えたと感じている回答者の割合(43%)は、減ったと感じている回答者の割合(26%)を上回った。

ベトナム政治史

南北統一、独立への長い道のりと共産化

ベトナムは、紀元前2世紀から始まる中華帝国からの支配「北属期」を経て、10世紀半ばに明(中国)から独立。南進により、18世紀末までに現在のベトナム国土が形成された。1887年、ラオスとカンボジアと共にフランス領インドシナ連邦として植民地化する。ベトナムでは、税金の引き上げ、土地の収奪、労働条件の悪化などフランスによる過酷な支配が行われた。1923年、当時フランスに居住していたホー・チ・ミンが共産主義インターナショナル(コミンテルン)に参加し、ベトナムの共産主義確立に向けて歩みを進める。1930年代には、共産主義ネットワークはベトナム本土で拡大し、フランスによる植民地支配の緩和を求めて全国で武装蜂起やデモが展開される。第二次世界大戦でフランスがドイツに敗北して以降は、日本軍がフランスと共同でインドシナの支配を開始。1945年8月14日に日本が降伏すると、ベトナム共産党は、わずか2週間でホー・チ・ミンを主席とした臨時政府「ベトナム民主共和国」の樹立を宣言した。

冷戦に組み込まれたインドシナ戦争とベトナム戦争

ポツダム会議において、ベトナムは、北緯15度線を境に、北はソ連の共産主義、南は英国・フランスの資本・民主主義体制に分断される。中国では、1949年に共産党が国民党を破り、中華人民共和国を樹立し、ベトナムの独立に向けたインドシナ戦争への支援を拡大。インドシナ戦争は当時の冷戦構造を反映し、米国の介入を招くことになる。1954年、インドシナ戦争の停戦合意において、北緯17度線を境に、北部の社会主義陣営「ベトナム民主共和国」(北ベトナム)と南部の自由主義陣営「ベトナム共和国」(南ベトナム)の南北分断が固定化する。北ベトナムは、中国型社会主義へと移行し、南ベトナムでは反米を唱える民兵組織、南ベトナム開放民族戦線(通称ベトコン)を組成する。米国は1964年のトンキン湾事件と北爆を皮切りに、南ベトナムへ大量の戦闘部隊を投入し、ベトナム戦争が本格化。1975年、サイゴン陥落にて、北ベトナムがベトナム戦争に勝利し、「ベトナム社会主義共和国」が樹立された。

南北統一、独立後の混乱

北ベトナムが全国規模の社会主義建設を開始する。いわゆる「南の北化」の名のもとに、南部の華僑・商工業者から強奪・収奪を繰り返す。並行して、ベトナム人の排斥・虐殺を進めていたカンボジアのポルポト派打倒に向け、ベトナムは中国の意に反してカンボジアに進駐。ベトナムは、当時中国が対立を深めていたソ連に経済支援を要請する。このような背景から、1979年、中国がベトナム北部に軍を派遣し、中越戦争が勃発。ベトナムは、世界から外交・経済的に孤立し、1980年までに実質経済成長率はマイナスに転じた。1980年代に入ると、経済政策の全面的な見直し(新経済政策)が実施されるものの、インフレ、闇市場や密輸の拡大も引き起こされ、強奪・汚職が増大し、結果的に国民の生活は悪化する。ベトナム国内の経済混乱が収まらず、経済運営をめぐる保守派と市場経済推進派の対立が継続した。

ドイモイ推進と市場経済推進派の台頭、保守派の猛攻

南北統一後の計画経済の行き詰まりと国際的孤立がもたらした危機的状況を打開すべく、旧南部体制派の経済専門家を中心に、経済刷新(ドイモイ)路線へのシフトが本格化する。1989年、ソ連の崩壊以降、ベトナム共産党は、イデオロギー体制を問わない全方位外交政策を採用し、経済発展を優先とする国家目標へ転換する。カンボジアの駐屯部隊の撤退を完了させたことにより、欧米やASEAN諸国との国家・経済関係が改善される。1990年までには年平均8〜9%の経済成長を記録。一部の市場経済推進派が、経済のドイモイに加え、政治的民主化の必要性を主張したが、党内保守派グループからの反発が大きく、ベトナム共産党による一党支配体制堅持のもと経済面に限定した改革を進める方向性が改めて明示された。

激化する党内派閥抗争から権力の一元化へ

2000年代には、ドイモイ進行に伴いベトナム経済が高成長軌道に乗り、南部出身幹部を中心とした市場経済推進派が党内プレゼンス・権益を拡大する。そんな中、グエン・タン・ズン首相等、南部出身の一部党幹部を中心に巨額の汚職事件が明るみになり、保守派との対立が深刻化。保守派は、急速な経済改革や汚職の蔓延により国内の貧富の差が拡大すれば、社会が不安定化して国民からの信頼が崩れ、共産党による一党独裁体制が崩壊する可能性が高くなることから、早急な資本主義経済体制への転換には否定的な姿勢を取る。2016年には、保守派グエン・フー・チョン書記長が、年齢制限にも関わらず書記長に再任し、保守派陣営による権力の一本化が加速する。2021年の第13回ベトナム共産党大会では、チョン書記長が再任し異例の3期目を続投し、ドイモイ推進の中で相対的に低下してきた経済運営に対するベトナム共産党の権威を、党内権力を一元化のもと、再度高めようとしている。

ベトナム市場参入におけるポイント

ベトナム市場参入の際には、このような政治・経済の変遷を理解した上で、主に以下のポイントを中心に入念な事前調査を実施する必要がある。

(1)党内ダイナミクス
ベトナム共産党内には、南部出身の経済専門家を中心とした市場経済推進派と、北部出身の保守派、そして経済開発・事業拡大を自身の権益拡大につなげようとするグループが、政治的闘争を深めながら共存している。この党内派閥のダイナミクスを、内閣への指導を担う共産党中央委員会で5年ごとに選出される政治局の人事構成を見極め、党・国家幹部および彼らにつながる国営・民間企業幹部の逮捕報道をもとに把握することが必要である。

(2)担当者と幹部間のつながり
ベトナムでは、国営企業の経営に共産党・国家幹部が関与している上、民間企業・事業者についても、元党・国家幹部や軍人、または国営企業幹部が独立・起業した事業者の場合、権力との癒着の中で保護を受けている可能性が高い。また、地方の幹部や党員も、中央幹部や軍部の地縁血縁にある関係者が多いため、プロジェクト・事業のパートナーや政府・党関係者が市場経済推進派または保守派等、どのような党・国家幹部とつながっているか等を確認する必要がある。

(3)プロジェクト開発地と内容
ベトナムでは、出身地域によって、党・国家幹部の事業開発に対する主義志向が異なる傾向がある。特に、北部(あるいは中部)出身の保守派は、共産党の独裁による既得権益を長期的に堅持するために、貧富の差を広げない均一的で安定的な経済開発・社会発展を好む。そのため、資本へのアクセスがより容易な南部地域に事業が偏重する場合、党内保守派により政治判断が加えられる可能性がある。また、計画する事業内容が、5年ごとの党中央委員会における指導部の懸案事項に合致しているかについても、事前に確認する必要がある。