夢みる力が「気」をつくる - 「感動」を生み出す経営によって躍進する組織 -

夢みる力が「気」をつくる - 「感動」を生み出す経営によって躍進する組織 -

【KPMGフォーラム2019名古屋 基調講演】「ななつ星in九州」のプロジェクトを例に、人を動かし、組織や地域を活性化させるためにはどうすべきか、九州旅客鉄道株式会社 代表取締役会長執行役員の唐池 恒二氏にお話を伺った。

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九州旅客鉄道株式会社 代表取締役会長執行役員 唐池 恒二 氏

唐池 恒二 氏

国鉄分割民営化後、JR九州は厳しい経営環境や度重なる自然災害など数多の困難を乗り越え、赤字300億円から黒字500億円へと躍進を続け、会社も社員も強くなってきた。
唐池氏は、原動力の1つは夢みる力が生み出す「気」であり、その「気」は価値を創造し、感動のエネルギーへと変化すると言う。
沿線住民の心までも動かす「ななつ星in九州」のプロジェクトを例に、人を動かし、組織や地域を活性化させるためにはどうすべきか、
九州旅客鉄道株式会社 代表取締役会長執行役員の唐池恒二氏にお話を伺った。

「夢みる力」で「逆境」に立ち向かい、成長と進化を遂げる

私どもJR九州は32年前の1987年、まさに逆境からスタートしたのです。「夢みる力」は大変な力を組織にもたらしますが、逆境も力になる。逆境に置かれると、今まで平常時にはなかった力が発揮できると思います。JR九州は逆境に立ち向かい、そして夢を描いて、成長と進化を遂げてきたわけです。
JR九州はいくつもの夢をみてきました。大きな夢は3つあります。
まず1つ目は、JR九州にも新幹線を走らせたいという夢でした。博多までの新幹線は、実はJR西日本の財産です。JR九州としては、新幹線は1軌道も持っていなかったのです。
当時は、これはかなわぬ夢だと思っていました。なぜなら、JR九州発足のころは、政府が当分は新幹線建設をストップすると決めていたからです。その後、紆余曲折があり、ようやく1998年(平成10年)ごろから、そろそろ新しい新幹線を造っていこうかという話になり、2004年に新八代~鹿児島中央間が開業、2011年3月12日には博多までの全線が開業しました。
2つ目が、「クルーズトレイン ななつ星in九州」(以下「ななつ星」という)です。世界一の豪華な列車を造ろうという途方もない夢をみました。これは私がみた夢です。JR九州発足時の、私がまだ管理職の末席にいたころに、「九州に豪華な寝台列車を走らせたい」と思ったのです。それから20余年後の2009年、社長に就任した1週間後に、「世界一の寝台列車を造ろうじゃないか」と、みんなにこの夢を語りました。
3つ目は、「株式上場」を果たしたいという夢です。当時はもう到底考えられない夢のまた夢、まったく実現不可能な夢だと思っていました。
しかし、この3つの大きな夢への挑戦を励みに、頑張ってきたのです。

「クルーズトレイン ななつ星in九州」にかけた夢

2つ目の夢、「ななつ星」が走り始めたのが今から6年前、2013年10月15日です。博多駅を出発し、九州一周をして、また4日目には博多駅に戻ってくるという、本来の列車の目的であるA地点からB地点に行くのではなく、ぐるりと九州一周をする旅です。
14組28名のお客さまとともに、3泊4日の旅に私も同行しました。
まず博多駅を出るときに、スタッフ数十名と、そこに居合わせた一般のお客さま二百数十名が、「ななつ星」に手を振る。この光景で、ななつ星のお客さまは、涙されます。沿線や停車駅では、私どもがお願いをしたわけではありませんが、九州を一周している間に、10万名は軽く超えるたくさんの人から応援をいただきました。普段は20名ほどしかいない駅に、ずらっと並んで手を振っていただいたこともありました。
「新たな人生にめぐり逢う、旅。」というのが、ななつ星のテーマです。英語名は九州の7つの県を表現した「SEVEN STARS」です。
私が社長に就任したのは、今から10年前の2009年6月23日です。この2年後に、夢にまでみた九州新幹線の全線開業が決まっていました。鉄道陣営は九州新幹線開業に向けて、ものすごく忙しい。そのようなときに部長を集めて指示を出しました。
「みんな、聞いてくれ。私たちが二十数年間、夢にみた九州新幹線が2年後に実現する。これは確かに喜ばしいことだ。しかし、夢が実現するということは、夢がなくなるということだ。夢なくして組織はどっちに向かっていいのか、わからなくなる。だから、次の夢を作ろう。世界一の列車を造ろうじゃないか。」
夢がかなうということは夢がなくなるということです。
「しからば、次の夢を作ろう。次の夢は世界一の豪華な寝台列車だ。」

部下の反対姿勢にがぜんやる気

九州新幹線の準備で大わらわ。そのときは、社長に面と向かって反対はしませんが、みんな嫌な顔をしていました。
「九州で世界一の豪華な寝台列車を走らせるにあたって、物理的に可能なのか、技術的に可能なのか、あるいは営業的にやっていけるのか、経営的に成り立つのか。それをすべて各部で検証してくれ」と、指示を出しました。
1ヵ月後に、各部長から答えが返ってきました。ほとんど同じトーンです。
「九州内で世界一の豪華な寝台列車を走らせるには大変大きな課題があります。解決すべき問題も山ほどあります」という答えです。しかし彼らは一応プライドがありますし、仕事人間ですから、「できません」とは言いません。巧妙な言い方で、「やってやれないことはないんです。自分たちが100%力を出して、社外の力をまた100%も200%もお借りすれば、できないことはない」という回答でした。行間の言葉は、「やりたくありません」と感じられました。
リーダーというのは、部下が「やりたくない」と言ったときに、がぜんやる気が出てくるものです。私もそれまでは難しいと思いながらも、みんなが反対するものですから、がぜんやる気が出て、「やるぞ!」と言いました。

気骨の人材が難題を解決

ところが、社長に面と向かって反対意見を唱える者が出てきたのです。運輸部長の古宮くん(現取締役専務執行役員)です。JR九州の鉄道部門のなかで、主だった部長とは、営業部長、運輸部長、施設部長、電気部長、運行管理部長となりますが、運輸部長の仕事は、運転士と車掌を養成すること、何時何分にどの駅を停車する、通過するという列車ダイヤを作ること、車両のメンテナンス、あるいは車両を新しく造ることなどです。したがって、新しい列車を動かすときは、この運輸部長が要となるのです。
この古宮くんが猛然と私に歯向かってきます。
「社長、もういい加減にしてください。われわれは2年後の九州新幹線の準備で忙しいんです。そんな社長の道楽に付き合っていられません」などと言うわけです。
考えてみたら、結構いい会社です。面と向かって社長に部下が歯向かうことができたのです。
私は2~3日考えました。要の運輸部長が反対したら、このプロジェクトは止まってしまいます。1週間後、1枚の紙切れを古宮くんに渡しました。人事異動の辞令です。
「古宮さん、今日から『ななつ星プロジェクトチーム』のリーダーになっていただきます。」
いきなりななつ星を推進する側に回ったわけです。彼も社長に面と向かって歯向かうぐらいに気骨のある人間です。さらに、運輸部長までになったほどの、大変仕事のできる、能力のある人物です。まして、仕事人であり、組織人です。与えられたポスト、与えられた仕事は100%こなそうと考えます。ななつ星のリーダーに据えた途端に、彼は猛然と推進派に回り、次から次へと難題、課題を解決していってくれました。

「世界一」への挑戦に職人もプロも燃える

「ななつ星」という世界一の豪華な寝台列車を造るというのが、われわれの共通の夢になりました。
「世界一の列車を造りましょう。」 デザイナーの水戸岡鋭治氏に言いました。日本の楽しい列車の大半が水戸岡さんの作品です。JR九州の場合は、すべての列車が水戸岡氏のデザインです。その水戸岡氏にしても、「世界一の寝台列車を造りましょう」と言ったときには、さすがに少し戸惑っていました。
世界一というと、あのオリエント・エクスプレスにも、ヨーロッパに10本ほどある豪華列車にも、南アフリカのブルートレインにも勝たなければなりません。一体どういうサービスをして、どういう設備にして、どういう客車のデザインにすればいいのか、2年ほど悩みました。デザインに着手できません。勉強また勉強です。「裕福な方がゆったりと豪華な旅をするというのは、どういうお気持ちなのだろう」「どういうサービスを求めているのだろう」など、さまざまな人から意見を聞きました。水戸岡氏も、世界一という名に恥じないような列車を造ろうと猛勉強して、これでもかというほどデザインをとことん考え抜いてもらいました。そして造られたのが、あの「ななつ星」のデザインになるのです。
車両造りの職人も「世界一」ということで燃えてくれました。自分たちの持っている最高の技術で精魂込めて、天井から床の隅まで、スケジュールぎりぎりまで相当の手間と思いをかけて造っていただきました。
実際に本物を見ていただくと、5分間だけ見て、1日中震えが止まらなかったと、どなたもおっしゃいます。私どもも6年間、いつも見ていますが、いまだに乗る度、見る度に感動します。
「ななつ星」には、毎回9名ほどの客室乗務員が乗っています。クルーと呼んでいますが、このクルーは社外から公募しました。車両と言えばまだ水戸岡氏のイラストしかないころに、新聞で募集もしました。
「世界一の豪華列車ななつ星の客室乗務員になりませんか」という小さな記事を載せてもらいました。それだけで世界中から400名の方があっという間に手を挙げてくれました。世界のホテルを渡り歩いたプロのホテルマン、航空会社の国際線で17年間活躍していたキャビンアテンダント、国内一流ホテルのコンシェルジュのチーフなどたくさんの人の応募からサービスのプロ中のプロを厳選して、25名を選んだわけです。
航空会社から来たクルーに聞きました。「あなたはなぜ航空会社という素晴らしい職場を辞職してまで、このななつ星に来てくれたの?」 すると彼女はこう答えました。「世界一のサービスという言葉にしびれたんです。私は自分をこの世界一にかけてみたくなったのです。」 ホテルから来たクルーも口をそろえて言います。「世界一という言葉に引かれました。」 世界一というステージが、今大きな力を持つようになっていると思います。

「ななつ星」の魂は人間国宝作の洗面鉢

車両の製作は、走り始める2013年10月の1年ほど前、2012年の秋ぐらいに始まりました。水戸岡氏はデザインを完了させましたが、まだ浮かない顔をしていました。果たしてこのデザインで世界一になれるのか、ずっと悩み続けていました。
オリエント・エクスプレスは古い列車ですが、何気なく置かれている花瓶や掲げられている絵が、超一流の1級品です。「ななつ星」には、残念ながらまだそのような「魂」がありませんでした。魂を入れよう。佐賀県の有田焼陶芸家、人間国宝の第14代 酒井田柿右衛門氏のところに伺いました。
水戸岡氏は普段、そんなにおしゃべりではないのですが、このときだけはたいへん熱弁を振るわれました。
「14代、このななつ星にはまだ魂が入っていません。私も一生懸命にデザインをしました。職人も一生懸命に造ろうとしています。しかし、まだオリエント・エクスプレスに勝るような魂が入っていないんです。14代、お願いですから、先生の作品をこのななつ星に置かせてください。ななつ星の魂にさせてください」とお願いしました。
14代は水戸岡氏が話す間、ずっと腕を組み、目をつぶってソファーにもたれ、黙って聞いていました。水戸岡氏の説明が終わったとき、14代はやおら腕組みを解き上体をちょっと前に進めて、目をかっと開き一言おっしゃいました。「水戸岡さん、この世界一の列車『ななつ星』の仕事は、私が引き受けるべき仕事です。やりましょう」と、お引き受けしていただいたのです。
翌日からご長男の酒井田浩氏と、親子お2人で洗面鉢を造っていただきました。「焼き物は飾るだけ、置くだけでは駄目なんです。使われるものを造りましょう」とお話があり、「洗面台があるなら、その洗面鉢を造りましょう」と、14代からご提案していただきました。洗面鉢は直径50センチぐらいです。これが各お部屋に1台ずつ、合計14台作っていただきました。
後から知ったのですが、14代はそのとき既に末期ガンが進行していたそうです。これが自分の最後の仕事になるかもしれない、あるいはご子息に技術継承の最後のチャンスかもしれないと思われたのかもしれません。とにかくほかの職人さんには手を出させず、すべて14代とご長男の浩氏の2人だけで造ってくれました。
走っている「ななつ星」のなかで、この洗面鉢を14代に見ていただきたかったという思いがあったのですが、その願いはかなわず、14代は納品1週間後にお亡くなりになりました。

講演中

お客さまと一緒に感動して涙

お客さまはこの3泊4日の旅で、4、5回涙されます。1回目は「ななつ星」が博多駅を出るとき。二百数十名がななつ星に向かってホームから手を振ります。すると、お客さまもホームに向かって一緒に手を振り返す。そのとき、お客さまは目に涙をためています。その後、3泊4日の間に、ななつ星のクルーたちのおもてなしや、あるいは地元の人とのふれあいに感動したり、あるいは見知らぬお客さま同士だったのが、半日もすると昔からの大の仲良しのお友だちのようになる。そのようなふれあいでまた涙されます。
きわめつけは最終4日目のお別れパーティーの席です。九州一周をして博多駅に戻る、その1時間前にラウンジカーに28名集まっていただき、4日間のスナップ写真をスライドショーにして映写します。バイオリンの生演奏を聞きながら、スライドショーを見るのです。皆さん、最初はキャッキャと喜ばれます。「あのお料理は、一昨日のお昼よね」「あそこの道は昨日、歩いた道よね」「この車窓は昨日の車窓だわ」「あなたが写ってるわよ」など、皆さん最初の4~5分は、はしゃぎます。それが段々としんみりとなるのです。あと1時間でこの人たちともお別れになる。4日間を思い返すと感動的なことばかりだった。そういう喜びや、もう降りなければならないという寂しさなどで複雑な気持ちになり、次第にしんみりしてくる。スライドショーが7~8分でしょうか、すべて終わると、バイオリンの生演奏も終わります。その瞬間、28名の方が例外なく泣かれる。しかも号泣です。
近くに立っているクルーとも握手やハグをしながら、「ありがとうね」と言って泣いています。クルーも「ありがとうございました」と言いながら泣いています。私も何回か同席しましたが、いつももらい泣きします。

みんなの思いや期待が詰まった「気」

私どものもう1つの夢、かなわぬ夢と思っていた株式上場も、3年前の2016年10月25日、東証一部に上場しました。その際、証券会社の方には大変お世話になりました。その証券会社の社長が、「ななつ星を見せてほしい」と言うわけです。
「お客さまが乗り込んで出発するまでの5分間しかありません。その間、私がご案内しましょう。」 そう言って、ラウンジカーや客室、第14代 酒井田柿右衛門氏が造った洗面鉢をご覧いただきました。
そして、証券会社の社長もホームに降りて、みんなと一緒に手を振ってくださいました。驚いたことに、たった5分間「ななつ星」をご案内しただけで、さまざまな修羅場をくぐってこられた証券会社の社長が手を振りながら涙されたのです。
実は初日にこんなシーンがありました。博多駅を出て1時間ぐらいの後、久留米を過ぎて由布院に向かっていく久大線にちょうど差し掛かったところに筑後川に架かる鉄橋があり、その下に、うきは市民の方177名が集まってくださったのです。
これはわれわれがお願いしたわけではなくて、市民の方が自発的にやってくれました。たくさんの方が応募されたのですが、「ななつ星」だから177名に限定したそうです。100メートル先の鉄橋を渡る「ななつ星」に旗を振ろうという仕掛けです。
「ななつ星」は、鉄橋を7~8秒で通り過ぎます。その間、一生懸命にうきは市民177名が旗を振ってくれるのです。翌日の地元の新聞には、177名のうちの半分の方が泣いている写真が載りました。半分の方が泣かれ、そのまた半分が、単に涙を流すだけではなく号泣されていました。
なぜ初めて見る「ななつ星」に、旗を振るだけで泣いたのか。なぜ証券会社の社長が5分間ご覧になっただけで泣いたのか。私は「ななつ星」のなかに入っている魂、「気」だと思います。「気」が「ななつ星」いっぱいに満ちあふれているのです。水戸岡氏の思い、車両の職人の思い、そしてクルーの「ななつ星」にかける夢と思い、JR九州のすべての社員の思いも期待も、九州の人の夢も期待も、それらがぎっしりと詰まっているのです。
私はそれを総称して、「気」と呼んでいます。「ななつ星」には「気」が満ちあふれている。その「気」が何かの作用をして、この涙となっているのではないかと思っています。

ななつ星に手を振るうきは市民

ななつ星に手を振るうきは市民

Q&A Session

2メートル以内のコミュニケーションでやる気を引き出せ

沢田:やはり組織でも企業でも、夢を持ち、気持ちを込めて仕事をすることが非常に大事だということを再認識いたしました。さて、昨今は働き方改革で、どの企業も働き方を変えているところだと思うのですが、ややもすると組織の一体感や、一緒に大きな夢の実現へ向かっていくという力が、少し弱くなってしまうのではないかと悩んでいる方も多いと思います。どのようなところに気を付ければよいのでしょうか?

唐池:私は、仕事の大半はコミュニケーションだろうと思っています。上司であれば、部下とのコミュニケーションに努めて、部下のやる気を引き出す。部下をその気にさせなければならない。そのためにはどうするか。とことん徹夜してやりましょうという時代はもう過去のものです。
従業員とコミュニケーションを取り、やる気を引き出す方法で一番いいのは、2メートル以内で、かつ少ない人数で語り合うことだと思います。全体の会議や現場長を集めた会議では、まったく伝わりません。
優秀な経営者で成功した人は、必ず現場に行き、社員と2メートル以内でしゃべっています。自分の方針や戦略を2メートル以内でしゃべると、社員は信じるんです。大勢の前でしゃべっても、誰も半信半疑です。しかし、面と向かって2メートル以内で、「こうするんだ」と言うと、絶対に信じます。
先日、福岡の焼き鳥屋に行き、そこの社長に「どうやって社員のやる気を引き出してるのか」と尋ねると、「絶えずそれぞれの店に行き、従業員と直に接して語り合います。それが一番です」と言っていました。
仕事の8~9割はコミュニケーションであり、一番いいのは距離を近づけることと、頻度を多くすることです。これでやる気が出ますよ、絶対に。

沢田:唐池会長のご著書『感動経営 世界一の豪華列車「ななつ星」トップが明かす49の心得』にも書かれてありましたが、伝えているつもりでも、伝わらなかったら伝えていないのと一緒。今日のお話を参考にさせていただき、メールや電話でもいいのでしょうが、やはり対面などの近くで、本音をぶつけることが、一番大事だと感じました。ありがとうございました。

唐池 恒二 氏

九州旅客鉄道株式会社
代表取締役会長執行役員

1953年4月2日大阪府生まれ。1977年京都大学法学部を卒業後、日本国有鉄道に入社。1987年国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(株)(JR九州)に入社。その後、JR九州フードサービス(株)の社長に就任。2009年6月JR九州の社長に就任後、2011年に九州新幹線全線開業、国内最大級の商業駅ビル「JR博多シティ」開業と、2大プロジェクトも成し遂げた。2013年10月に運行を開始したクルーズトレイン「ななつ星in九州」は、その企画から運行まで自ら陣頭指揮を執った。2014年6月、JR九州会長に就任。


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常務執行理事
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